黙阿弥の作品が面白くない人へ。『黙阿弥の明治維新』渡辺保 【読書感想】
1997年の発行。手元にあるのは1998年の4刷。
歌舞伎の狂言作者、河竹黙阿弥に関する本。
この本は黙阿弥の伝記ではない。
河原崎座の立作者となっていた2代目河竹新七が、4代目市川小団次と出会って、その作風が変化し、さらに明治維新を越えてどう変化したか。黙阿弥が作品に込めたものが何だったか。そこに重点を置いて書かれている。
もしも、現在、歌舞伎で黙阿弥の作品を見てもそれほど面白くない、と感じるのならば、読んでみると良いかもしれない。
ここには、黙阿弥狂言の本来の味わいがどこにあるか、黙阿弥がセリフや道具、衣裳に込めていた裏のストーリーとも言うべきものが書かれている。この本を読み終わる頃には、黙阿弥の作品は、どれも一種の暗号なのではと思えてくる。
黙阿弥の作品は、世話物として今日も歌舞伎で上演が多い。
「江戸の暮らしを生き生きと描いた作品」とか、「七五調の流麗なセリフ」といった紹介をされることが多いように思う。
しかし、わたしがずっと感じ続けていたのは、登場人物の間を金がぐるぐる回る、死と貧困の因果話、であった。
そのストーリーは、色彩で言えば茶色の濃淡だけで書かれたようにしか見えない。《白浪五人男》も《三人吉三》も、根底の暗さに強引に輝度のある衣裳を纏わせている感じが拭えなかった。
筋書などで見る黙阿弥作品への褒め言葉と、自分の感じ方の差がいつも埋まらず、結局わたしは「黙阿弥って苦手」になっていた。
これを読んで、黙阿弥の作品にはほとんど呪詛と言ってもいいような痛烈な皮肉、批判が込められていたことが分かって、ホッとした。自分が黙阿弥の作品に感じていた暗さは、あながち間違いでもなかった。
しかし同時に、惜しいことをしていた、と思う。
言外に詰め込まれた黙阿弥からのメッセージは、当時の幕府や政府の目をくぐるために、とても高度に作られている。
耳に心地のいいセリフ、歌舞伎の時代ものに比べて追いかけやすいストーリーに安心してしまうと、黙阿弥が込めたものを受け取り損ねる、ということが分かったからだ。
希望があるとすれば、中村屋の芝居かもしれない。
わたしが黙阿弥の作品に、ようやく興味を持ったのは、中村勘九郎、七之助、尾上松也の《三人吉三》をシネマ歌舞伎で見たためだった。
古臭い因果話、と片付けるにはあまりに生々しく鮮やかな三人の吉三郎を見て、これまでの、自分の黙阿弥作品の見方に疑問を持った。
2024年8月、中村勘九郎の《髪結新三》を観て、ますますそう思った。
そこから、この本に辿り着くまで時間がかかってしまったが、これから、黙阿弥作品を歌舞伎で見るのが楽しみになる一冊。
悔やまれるのは、単行本で約350ページあってなかなか読み終えることができず、まさかの12月歌舞伎座《盲長屋梅加賀鳶》に読了が間に合わなかったことである(本の最後の最後に、《盲長屋…》に関する記載もある)。
次こそは、きっと黙阿弥作品を面白いと感じられる…はず!!