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「じゃないところ」から読む 『妹背山婦女庭訓』花渡しの場、吉野川の場【ちょっと予習】

2024年9月の歌舞伎座、夜の部には『妹背山婦女庭訓』から「花渡しの場」と、「吉野川の場」が出るので、予習しました。したのですが…、これ「吉野川」じゃないところを知ると、より楽しいかもと気づきました(遅)。

そこで、そういう内容になっております。


『妹背山婦女庭訓』(いもせやまおんなていきん)
明和8(1771)年正月、大坂・竹本座初演の人形浄瑠璃。全五段。
作は近松半二、松田ばく、栄善平、近松東南。後見、三好松洛。

今回上演される「吉野川の場」は、「三笠山御殿の場」とともに非常に有名で、資料も豊富だ。(24年6月に「三笠山御殿の場」が出たので、御殿の場はそのとき予習をした)

一方で、見取り形式で「吉野川の場」が上演されるとき、前提説明は意外に簡素で、「両家は不仲で」「子供たちは恋仲」くらいのような気もする。

名作なので、それだけでも目の前に広がる舞台は楽しめるのだが(わたしはずっとそうだった)、最初から通して読むと「吉野川の場」がさらに面白いことをようやく知った。

よって、ここでは「吉野川の場」ではなく、そこに至るまでの、登場人物と両家の状況を残しておきたい。


👤相関図

ピンク色で囲んだのが、「吉野川の場」の登場人物である。
*元の相関図は歌舞伎演目案内から借用

歌舞伎演目案内」の相関図より

両花道、正面に吉野川とその流れを表す滝ぐるま、川を挟んだ2つの屋体。
登場人物は、たった4人(雛鳥の腰元を除く)。

桜に包まれたシンメトリーの世界で、悲劇の幕が開く。

さて、『妹背山婦女庭訓』最大の見せ場というこの場に至るまでに、彼らには何が起きたのだろうか?

「吉野川の場」の舞台。『名作歌舞伎全集 第5巻』より

🌸「吉野川の場」に至るまで

*『新編 日本古典文学全集77 浄瑠璃集』を元にしているため、場面の区分けは、浄瑠璃のものになっています。第三段「山の場」が歌舞伎の「吉野川の場」にあたりますが、実際の歌舞伎の上演内容とは異なる場合があります。

🎎 第一段 大内の場

太宰後室定高さだかは、亡くなった夫の太宰少弐しょうにに代わって、領主をしている。
娘の雛鳥ひなどり(16歳くらい)に良い婿を取り、家を継がせたいので、その旨、天皇に取り次いでほしいと参内する。

大判事清澄だいはんじきよずみは、自分は少弐が生きている頃からの遺恨があるゆえ、それを理由に不公平な措置をしたと言われたくない、取り次ぎは別の人がよかろうと、宮越玄蕃みやこしげんばに振る。

かねて雛鳥に心を寄せていた玄蕃が、雛鳥を妻に欲しいと便乗しようとするのを、安倍中納言行主ゆきぬしが制して、そのうち取り次ぐので、家名相続の返事を待つようにと返す。
(安倍中納言行主は、蘇我入鹿の妻、めどのかたの父である)

🎎 第一段 春日野小松原の場

久我之助こがのすけは、大判事清澄の息子。天智天皇の寵愛を受ける采女うねめの局の、付人つけびと(守ったり身の回りの世話をする)である。

春日野の社頭に近い小松原。狩りの戻り、久我之助《こがのすけ》は床几で休む。そこに通りかかる雛鳥の一行。

雛鳥の腰元が、久我之助が持っている長い筒は何かと訊ねると、久我之助は吹き矢筒だと答え、にっこり笑って貸してくれる。

雛鳥と久我之助こがのすけは、こうして偶然に出会い、互いの素性を知らぬまま恋をする
やって来た宮越玄蕃に、不和の両家の子が恋仲とはどういうことだと言われて、2人は初めて、相手が誰であるかを知り、愕然とするのだった。

久我之助のもとに、采女が出奔したとの知らせがくる。
思案に暮れるところへ、高貴らしい女性が通りかかるので引き止めると、やはり采女。自分が帝のそばにいると蝦夷えみしによって帝や父藤原鎌足に危険が及ぶため、身を隠したいという。久我之助は彼女に蓑笠を着せて、共にその場を去る。

🎎 第一段 蝦夷子館の場

三条の御所と呼ばれる蘇我蝦夷の館に、久我之助こがのすけは呼び出される。
鎌足の娘の采女は入水したと聞くが本当かと問われ、久我之助は野辺送のべおくりもしたと答える。
采女を死なせた落ち度で勘当された久我之助に、蝦夷は問答を仕掛けたり腕を試したりするが、久我之助は動じず、悠々と帰っていく。

大判事清澄きよずみは、訴訟について裁きをする立場。
安倍中納言行主と共に、蘇我蝦夷の館を訪れる。
蝦夷に、帝位を掠める企てありとの証拠を掴んだためだった。
証拠の連判状を提出したのは蝦夷の息子、蘇我入鹿なのだが、蝦夷が切腹すると、入鹿は自分こそ帝の位を狙っていたと明かす。

安倍中納言行主も殺されてしまい、清澄は「自分につくか死ぬか」と入鹿に迫られる。清澄はひれ伏して、入鹿に従うと答える

🎎 第三段 花渡しの場

定高の館。

目礼もせず大判事が通るので、礼儀を知らないなら教えようかと定高が嫌味を言えば、入鹿の命で参ったのだから皇居へ出仕したも同じで、あなたに用はないと大判事が言い返す。

しかし、その2人に入鹿は、不仲は偽りで、実は共謀して天智天皇に味方しているのだろう、雛鳥と久我之助が恋仲であるのも耳に入っている、と言う。
背くのでない証拠に、定高は雛鳥を妃として差し出せ、大判事は久我之助を自分に仕えさせよと言う。できなければ両家を潰し、一族根絶やしだと脅し、配下の弥藤次に、遠眼鏡で両家の様子を監視しろと申し渡すのだった。

🎎 第三段 山の場

雛鳥は養生を理由に、吉野川沿いの別荘に来ている。
久我之助は蟄居という形で、やはり吉野川沿いの大判事の館にいる。

国境くにざかいの川は流れが激しく、しかも領主同士の徒党を防ぐために入鹿は船を禁じている。2人は流れを挟んで声のやり取りをするしかない。
川へ飛び込んでそちらに行きたいという雛鳥を、久我之助が必死に止めている。

一方、入鹿からの難題を胸に、それぞれの館に向かう途中の大判事と定高。
川を挟んで、もちろん入鹿の命に添うように…と言いながら、互いの腹を探る。

傾き始める陽の中で、決断の時が迫ってくる。


👀遠眼鏡を覗くように

我々は、香具山の頂上から遠眼鏡を覗く弥藤次のように、「吉野川の場」で両家のドラマを観るのだ。

「吉野川の場」より前を読むことで、彼らが置かれた状況と、登場人物の性格がわかる。すると、遠眼鏡で覗く世界は、より鮮やかになる気がする。

久我之助は口が硬く(采女が生きていることは父にも黙っていた)、腕も立ち、世(天智天皇)のために生きるという覚悟がある。

雛鳥は、「吉野川の場」のほかは久我之助と知り合う場面くらいしか出てこないのだが、奥ゆかしく、腰元に促されても思ったことを相手に言えない。
そういう娘が、川へ飛び込んででも会いに行きたい、添い遂げる雛人形が恨めしいという。

そして、大人たち。

情勢を見ながら、領主として動き方を探る定高。
不仲ゆえの冷たい態度の中にも、争いを「捌く」立場にいる大判事らしい公平さがのぞく清澄。

若く美しい男女が悲劇的に命を落とす。
せめて一人は助けたさ」。それが叶わなかった悲しみの中で親たちは、立っているのさえやっと。その様子が、目にも胸にも迫って感じられるに違いない。


🪞シンメトリーを探せ

浄瑠璃の文章を読んでみると(もちろん現在の活字で解説付きです)、近松半二の『妹背山婦女庭訓』の世界は、スケール感もあるのに設定が細かいことに驚く。

読み出すと止まらない。
ストーリー展開の面白さもあるけれども、一種の、左右のイラストの違いを探せ、っていう遊びに似て、「シンメトリーを探せ」的な面白さがあると思う。

天智天皇を挟んで、藤原鎌足と蘇我蝦夷(浄瑠璃では「蝦夷子」)という大臣があって、さらに登場人物と物語が広がっていく。
これが、見事なシンメトリーになっている。

人物設定(海の漁師と山の猟師とか)、アイテム(白鹿と爪黒の鹿とか)、ストーリー(井戸替えで淡海が杉酒屋のご近所連中に混じって踊らされる、あとの三笠山御殿の場で今度はお三輪が官女に馬子唄を歌い踊らされる)まで、細かく対照的に配置されているのだ。

読みながら、これって、あれとついじゃない!?なんて見つけると、面白くってたまらない。さすが名作。


📖配役と楽しみ

さて、24年9月の配役は、定高に坂東玉三郎、雛鳥が尾上左近。清澄は尾上松緑、久我之助に市川染五郎。「花渡しの場」の蘇我入鹿は中村吉之丞

楽しみだなぁ染五郎の久我之助

そして、「花渡しの場」が付くことによる効果
「吉野川の場」だけを観るのと、どんな違いを感じるだろうか。

なお、「花渡し」と言いつつ(幕末に既にこの呼び方があったらしい)、浄瑠璃の文章では、入鹿は桜の枝を欄干に打ち付けて「こうだぞ」と2人を脅すにとどまる。桜の枝を渡さないし、了承したら川へ流せとも言わない。

国立劇場の昭和49年4月上演台本を底本にした『歌舞伎オン・ステージ2』では、花を渡している。
歌舞伎会の会報「ほうおう」も、「従わなければ子の首を打てと命じ、傍の桜の花の枝を渡します。」とあるので、渡す展開で進みそうだが、この辺りも興味がある。

📖芸談に噴き出す

「吉野川の場」は、約2時間かかる。

本に出ていた、15代目市村羽左衛門の芸談が面白かったので、最後に引用させてもらいたい。

いつでも閉口するのは腹を切ってからがあんまり長いことです。(略)タイムを取らせて見たら、約三十四分かかりました。芸談どころではありません。それだけでもううんざりです。

歌舞伎オン・ステージ2 「芸談」

…えっと、久我之助は、15代目羽左衛門が素晴らしく良かった!って今も言われる役ですよ。他にも何かないですか羽左衛門さん!?

📖参考資料

文化デジタルライブラリーの歌舞伎「妹背山婦女庭訓」

歌舞伎の演目案内

「仮花道」、歌舞伎座写真ギャラリーから

  • 新編日本古典文学全集77『妹背山婦女庭訓』(これは注釈も全文の現代語訳もあるので読みやすいです)

  • 歌舞伎見どころ聞きどころ

  • 名作歌舞伎全集 第5巻

  • 国立劇場 上演資料集377

  • 歌舞伎オン・ステージ2

  • 文楽ナビ

  • 日本古典文学大系99 「文楽浄瑠璃集」

  • 歌舞伎事典

古い「ほうおう」(歌舞伎会の会報)が発掘されたのでアップしています。よろしければぜひ。