不登校と担任の先生。3年間の私の変化。
長女が不登校になったのは、小2の秋。
あの頃と、5年生になった年の担任の
先生との関わりは大きく変化しました。
不登校になった小2当時の担任は、
主任のベテラン先生。
当時「学校は行かなくてはいけない」と
思っていた私は、復帰のための方法を探っていました。
だから、先生もそれに応えるようなフォローをしてくださるわけです。
管理職を交えた話し合いの場を設けてくれたり、相談機関の案内や、さまざまな登校の方法の提案をされました。
毎日、夕方に電話もくださいました。
それはプレッシャーでもあったけど、復帰させたい私は必死に応えようとしていました。
あれからさまざまな学びと、子どもと自分と向き合った時間。
そんななかで、不登校からだいぶ経って娘が「もう無理矢理にやらされるのは、嫌だ」と本音を言ってくれました。
これ、
今となっては当たり前のことだと思うけれど…当時の私は、嫌がるのを無理矢理に学校に連れて行ったのです。
泣いているのに、置いてきたこともあります。
「何で私に迷惑かけるの?」そんな風にすら思っていました。
だけど、ただ休みたい。学校がつらい。
そんな思いがあって、私に迷惑をかけようと思っているわけじゃない…
そう気づき、その本音を聞いた時、私は娘に心から謝りました。
そこから、新たな親子関係がはじまりました。私は「もう無理矢理にはしない」そう心に決めました。
そして、5年生になった2021年の春。
新たに担任になった先生に、始業式の日
私は言いました。
「娘は今、学校に行きたい気持ちがありません。本人の気持ちを尊重したいと思っています。」
「登校したい時には、サポートするつもりですが、無理矢理に連れて来ることはしません。」
そう宣言しました。
わが家はこうします、と初めてはっきりと
言えたのです。
先生は、学校は、わが家をどう思うかな?
もう、そんなことはどうでも良くて、私が
そう決めた、のです。
この頃には、
#しあわせになれる自作自演モデルの学びにより、
子どもには【自分で考えて、決められる力がある】が腑におちて、
娘は【学校に行かないことを選択している】と思っていました。
そして、学校に行く行かないよりも、私と娘の親子関係のほうが何より大切に思えました。
登校は本人の気持ちに任せた5年生の1年間。長女は担任の先生に1度も会うことなく、5年生を終えました。
だけどね、この1年。
先生は登校刺激をしたり、私を責めたり、そんなことは一切なく…信頼してくれた。
修了式の日。
「1回くらい○○ちゃんに会いたかったな~笑」そう冗談ぽく話した先生。
以前なら、きっと私は自分を責めたな。
【1度も登校させられなかった母】
【先生の期待に応えられなかった親】
そう思ってね。
「すみません」そう言ったと思う。
でもね、
罪悪感も無力感もなくて
「ですよねー(笑)どんな人なのか、お互いわからないまま終わっちゃいましたね」
ただそう本音を伝えて、2人で爆笑w
本当にね、心からそう思ったんだ。
私のなかで、自分を責めることをやめ、
私はこう思うを大切にした結果…
私を責める人はいなくて。
娘と、娘を信じると決めた私。
その私が決めたことを信じてくれる
先生がいたのです。
登校刺激もなく、
登校は本人の意思に任せましょう。
そんな共通認識のもとで、過ごすことの
出来た5年生。
不要なイライラもやもやを感じずに
娘の気持ちに寄り添えとても幸せでした。
信頼で見守ってくれた先生には、感謝しか
ありません。
私が復帰に必死だった時には、学校復帰に向けたサポートを頑張ってくださる先生がいて、
私が学校復帰はひとつの選択として、本人の意思に任せたいと決めたら、それをサポートしてくださる先生がいた。
振り返って考えたら、どちらも…
私の思いに先生は応えてくれていたのだ、ということ。
だから、不登校において、親のスタンスを
どこに置くか?
これが、とても重要だと思うんだ。
学校とのやり取りに疲弊している場合、
自分の中の本当の思いと、実際にしている言動に違いがあるからかもしれない。
無理して学校に行かなくても…この子にとって本当に大切なことは…そう思いつつも、
「先生が○○してくれているし」「学校は行かないといけないから」そう誰かの正解に振り回されているから。その違和感がしんどさになっているんだ。
ただ決めるだけ。
自分を信じて、決めただけ。
そうしたら、私の物語の登場人物の台詞が
変わる。
先生にはきっと、
"子どもの幸せと保護者の思いに応えたい"そんな愛があるから。
子どもの成長を考えた時、先生とよりより関係を築いて、協力していけたらこれ以上のことはない。
そこには、お母さんが自分を信頼することから。
しあわせになれる自作自演モデルには、そのヒントがある✨💍✨