「だってお金は大事だもん」は思考停止
私は、お金だけを最も正しいものさしとする価値観が大嫌いです。
なぜなら、お金との関わりにおいて、人間の冷酷さが最も見て取れてしまうからです。人間味溢れる人の輪が好きな私は、お金が唯一の正しい評価軸となってしまったこの世界がとても残酷に見えます。それは、お金がその人の価値を決定することで人の温かさを奪ってしまうからです。
貨幣としてのお金は、私たちの生活を便利にしました。お金なしの生活はまったく想像もできないし、これだけお金が広がった資本主義社会ではその存在を無視することはできません。でも、お金が人間社会の発展に貢献すると同時に失われてしまったものが、僕には大きすぎたように感じるのです。
お金が人間の冷酷さを露わにする
買い物客の沈黙、新人バイトのレジ打ちミスに激怒する客、
初任給でマウントを取り合う若者、相続をめぐる家族の争い……etc
私たちに代わって信用を保証するお金は、人間のトゲ、冷酷さを明らかにします。なぜなら、どこでもいつでも価値があるお金さえ持っていれば、私たち自身が信用できる人物である必要がないからです。それだから、「お客様は神様」態度が生まれるし、他人の尊厳を傷つけるようなことさえも平気で言ってしまうのです。
お金に依存した状況が「そのようなもの」だと受け入れてしまっている状態も思考停止なのではないでしょうか。
この冷え切った社会から逃れるためには、ど田舎で自給自足をする以外の選択肢しか残されていないと考えました。かと言って、お金の依存性故に今の社会から逃れることは現実問題として難しい。お金が嫌だからお金を使わない生活をするというのは思考停止だとも思います。
一方で、お金に依存した状況が「そのようなもの」だと受け入れてしまっている状態も思考停止なのではないでしょうか。あるとき、資本主義的な志向が強い友人が言った言葉が考えるきっかけをくれました。
この認めざるをえない事実に対して、何も応えることはできませんでした。
問答無用さに絶望を感じています
私は「だってお金は大事だもん」に対する問答無用さに絶望を感じています。今の社会を成り立たせている資本主義に対決する問題意識は問答無用で拒否されてしまいます。なぜなら、現在の社会を支配するシステムに居心地の良さを感じている人が大多数だからです。そして、その巨大なシステムを批判的に見ずとも私たちは生きていけるからです。
こんなことを考えていた時に、山口周さんの文章に共感し、勇気をもらいました。
未来の大多数の人間が、現代社会の物事を「愚かである」と言うのであれば、今の社会を疑わずに心地よく生きることと同じくらい、今の社会を疑い居心地の悪さを感じながら生きることも当たり前なのかもしれない。と気が軽くなったのでした。
資本主義という壁を乗り越えた先の未来をつくっていきたいです。
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