同窓会で思いを伝えられなかった夜 〜感謝と決意の記憶として
🌷32年ぶりの同窓会
私の退職記念という名目で、かつて共に学んだ人たちが同窓会を開き、私も参加させてもらいました。先日のことです。
初任の学校で3年勤務した後、実家近くの中学校に赴任し、1年生の担任となってそのまま3年間、この人たちの学年をもちあがりました。中3で担任した学級の人が中心となり、20人程の会になりました。
15の春から32年が過ぎ、再会し、笑み語り合う目じりに、小さく入るしわの美しさ。見事に会を取り仕切る姿、乾杯に先立って述べる言葉の豊かさ、会場の空気を満たす美しいソプラノ。それぞれが、相応に面替わりし、落ち着いた声音で語り合う頼もしい姿から、多くの苦難も喜びも経ながら、彼らが生きてきた年月と、その間にそれぞれの内に積み上げたものの確かさが伝わり、胸が熱くなりました。
温もりに満ちた、幸せな時間を過ごすことができました。
🌷「先生、ごめんなさい」
会の終盤、私が感謝の言葉を述べた後、二人の女性が私のところへ来てくれました。
「私、いい子じゃなかったから、今日ここに来るのをすごく迷ったんです」
「先生、ごめんなさい。私たち、そんなにも先生を悩ませていたんですね」
笑顔でしたが、私の言葉が、彼女たちにとっても甘美ではない記憶を呼んでしまったことを悟りました。
「そうだよね。そう聞こえてしまうよね。ごめんなさい。でも頼むからそんな風に言わないで。君たちのおかげで、今私はここにいられるんだよ。君たちには、本当に感謝しかないんだよ」
会が閉じる直前の慌ただしさの中で、すっかりうろたえてしまった私は、彼女たちにそう言うのが精一杯でした。
🌷鼻持ちならない青二才
彼らと出会った日。私は27歳の青二才でした。青二才のくせにそれを自覚せず、初任校だった、都市部の大規模中学校で3年間をもちあがったことで、すでにいっぱしの教師になったような思い上がりを引っ提げた、鼻持ちならない若者でした。
乾杯の発声をしてくれた人が、先立つ挨拶で、彼の好きな甲本ヒロトさんの言葉を引きました。「同級生は、偶然電車に乗り合わせたようなもの。降りる駅までただ乗って行くだけの仲間(聞き覚えです)」彼はこの言葉を「でも自分たちのクラスはそれだけではなかった」というニュアンスで引用してくれたのです。嬉しい思いで聞きながら、私は、心の内でもう一つ、別の感慨も覚えていました。
「その電車に乗ったばかりの子たちに、『よそ見したり、おしゃべりしたりしないで、次の駅に着くまで、姿勢よく、席を立たずにちゃんと座っていなさい。そんなの常識で当たり前。それが正しい大人になるということ』と、上からがんがん押しつけたなあ」
初任の頃の新鮮な気持ちを忘れ、早く一人前の先生と認められたくて、身の丈以上に背伸びしていました。
短い言葉や表情一つで、子供たちを意のままにコントロールできることが指導力。
愚かな勘違いをしているばかりか、「君たちのため」というオブラードに自分のプライドを包み隠し、「情熱」と読み替えた強引さで、無理矢理に子供たちに飲ませようとしていることに気づかない、気づこうともしない青二才。
それが、27歳の私でした。
🌷君たちのおかげで今がある
多感な13歳は、そんな欺瞞や傲慢さをすぐに察知しました。担任した学級で、彼女たちを含め、私に反発する空気ができてあっという間に広がりました。それからは、もう何をしてもうまくいきません。焦って打つ悪手、積みあがる悪循環。かろうじて見守ってくれていた子の信用も、櫛の歯が欠けていくように一人、また一人と失っていきました。子供たちの大切な1年間を、大変な時間にしてしまいました。
傲慢な青二才も、さすがに気持ちが折れかけました。彼の良心のかけらは、子供たちの大切な時間を、苦しいものにしている事実を前に、彼に、教員としての資質を厳しく問いかけました。
「せっかく夢だった先生になれたのだ。あと2年だけ踏ん張ろう。できることならこの子たちと過ごして卒業を見届けたい。それがかなってもかなわなくても、2年後、目の前の子供たちが自分に向ける表情が、今と変わらなかったら、自分には教壇に立つ資格がなかったとあきらめよう」
ぎりぎりまで悩んだ末、青二才はそう結論しました。
決めつけて、否定的に物を言うこと。
子供たちを口先でコントロールしようとすること、そうできると思うこと。
うまくいかないことを、子供たちのせいにすること。
これだけは、絶対にすまいと決めました。
喜びも、悲しみも全力で共にすること。
例え叱る場面でも、前進的な明るいトーンで信頼を伝えること。
子供たちに求めることは、それ以上の確かさで自ら実行すること。
国語の授業に全力を注ぐこと。
それだけは貫こうと決めました。
その後の2年間、その子たちと歩むことができました。
山も谷もありましたが、懸命にもがいた分だけ、否それ以上に、子供たちは応えてくれました。そのことを、魂に刻むことができました。
卒業の日、子供たちと心から笑い、涙した感動は、彼の道を決しました。彼の教員生活を、人生そのものをも支える原体験となりました。
🌷君たちは私の恩人なんだよ
そのことについて、心から述べたつもりの感謝が、優しい彼女たちの心に痛みを感じさせてしまったのです。
またやってしまいました。そう感じさせてしまうことは、十分想定できたのに。
自分ではよいと思って喋り散らして、結局誰かを傷つける悪癖は、あの頃と少しも変わりません。
本当にごめんね。
もう一度ちゃんと伝えさせてください。
確かに、あのときが辛くなかったと言えばうそになる。
でもそれは、私自身が招いたことだ。
君たちの純粋な感性が、青二才の傲慢や欺瞞に、健全に、真っ直ぐに反応しただけのことだ。
全ては私の、教師としての未熟さや愚かさが招いたことで、君たちに一点の非もあるものか。
それどころか、おかげで、自分を見つめなおすことができた。
自分の進む方向を、修正することができた。
君たちのおかげで、私は今日、幸せな気持ちで、君たちとここにいられている。
もし、何かのピースが変にはまって、あの一年が平穏に過ぎていたら、私は、自分を見つめなおすことはなかっただろう。
それどころか、自分を勘違いし、年月と共に、傲慢や欺瞞を肥大化させ、それを押し付ける強引さを巧妙化させ、自分のためを「子供ため」と、狭小なプライドや高飛車な言動を「子供たちへの愛情」と言い切って疑わない、残念な教員の代表格になっていただろう。
そうして、どこか、もう戻りようもないほど年を重ねたあたりで、決定的に行き詰っていただろう。周囲の信頼を失い、もしかしたら、それをも周囲のせいにして、教員であることを投げ出していたかも知れない。そうなれば、人生すら変わっていただろう。
君たちを2年生で担任することはできなかった。廊下で行き会っても、教科担任として授業で出会っても、初めはぎこちなかったね。
でもいつの頃からだろう。目が合うようになった。声をかけると微笑みを返してくれるようになった。やがて、普通に言葉を交わし、笑い合えるようになった。そのときの安堵や、はじけるような喜びは、今でもはっきりと覚えている。
君とは中3で再度同じクラスになることができた。いつも優しい笑顔を浮かべ、陰に陽に、どんな時も、それでもまだまだ未熟だった私を支えてくれたね。そのひとこまひとこまの度に、筋肉が超回復するように、教師としての喜びと自信が、心に広がり、深く強く根付くのが分かった。本当に幸福で夢のような時間だった。
君は結婚前の夏、彼と共に私を訪ねてくれた。君が、わざわざ喜びを告げにきてくれたことが、私にとってどれほど大きな出来事だったか。君が想像してくれる10倍は嬉しかったよ。野球部で共に汗を流した彼と、並んで微笑んでいたこの日の君も、私に、教師としての大きな幸せと自信を届けてくれた。
「教師冥利に尽きる」とは、こういう感動のことを言うのだと教わった。君たちと笑い合う度に、自分の進む方向が間違っていないことを確認することができた。君たちと別れてからも、自身の指針になった。
もう結びようがないかもしれないと思っても、あきらめたり、投げやりになったりしなければ、子供たちとの絆は、きっと結びなおすことができること。その端緒は自分自身の掌にいつもあること。それができたときの喜びや幸福感は、温かで健全な自信となって、教師としての力を強靭にしてくれること。前を向き、真実に生きようと決意した瞬間から、どんな経験も、糧にしかならないこと。
君たちのおかげで、それを学び、信念を持つことができた。
自らの内だけにとどまらず、若い日の私のように、自分を見失い、迷い、悩む教師に、出会った全ての子供たちに、保護者の方に、語る思いと言葉を持つことができた。
そうして、教師として、人として、大切な人と、自分自身の幸せに、多少なりとも貢献しうる力をつけられたのではないかという思いで、今を生きることができている。
だから、君たちは本当に、私の恩人なんだよ。
心からそう思っていることをどうかわかってほしい。
二人に座ってもらって、じっくりとこう話すべきでした。閉店間際のお店には迷惑をかけたかもしれませんが、それでも、あのときに、感謝の思いを丁寧に伝えるべきでした。
笑顔で手を振りながら、二次会に向かう、帰る、それぞれを見送りながら、つくづく悔いました。
物事にはタイミングがあって、このことについて話すのは、このときが機会でした。それなのに、伝えられませんでした。
愛する人たちへの感謝と、優柔不断な自分への戒めと、彼らが「先生」と呼んでくれるに恥じないよう自らを鍛え続ける決意を込めて、忘れられない夜の記憶を、ここにとどめさせてもらいます。
拙歌
学舎を巣立ち三十年めぐし子ら笑み合う目尻のしわの美し
幾山河超えてや来つらん面変わり声音おとなし手弱女丈夫
オペラ歌い宴司り語り合う君が来し方充ちたりけるも
問わるまま事事語らば君も我もあの学舎にあるの心地す
君なくば我今あらず我が道を決意せしめしはしきめぐし子
出会ってくれてありがとう君が幸祈り『乾杯』弾き歌いけり
「教師冥利に尽きる」ああ幾度目かこの言葉君我にたまうは