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仮名法語ながいばり(落語掘り起こし)


【解題】
 枕が長くほとんど雑談ですが、そのゆるさも趣き。とはいえ延々と下の話しで、女性のまえでするにはやや「はばかり」があります。
 サゲもなんだか変テコです。


えぇ
まず男と女というものは、なかなかにわかり合えないところがございます。
お互いに惹かれおうて一緒になったつもりでも月日がたちますとお互いの違いというものがみえてまいりますな。
 といって、あまり男と女の違いをことさらに言い立てますと、最近はまたその、なにやらうるさいところもありまして・・・まあこの・・・そのタブーに果敢に攻め込むという、お話でございます。

ながいばり 南無阿弥陀仏のこころかな

ええ、若いかたはわかりますかね、ながいばり。
別にいばっているわけではありませんよ。
ながい、いばり。いばりというのはその、おしっこ、のことでございます。
いばり、ばり、とも使いますが、尿を体外に排出する行為のことをいう古語、古い言い方ですな。

蚤シラミ 馬の尿(ばり)する枕元
 
 お聞きになったことはおありでしょうが、かの俳聖松尾芭蕉が尿前(しとまえ)の関を過ぎたあたり、民家に宿をとったときの句です。尿前の関というのは伊達家と最上家の境、いまの宮城県から山形県にはいる境界にありまして、鳴子温泉のあたりです。
 この句の尿の読みにつきましては、あたくしは子供のころには馬の「しと」する枕元、と教わったんですが、最近は馬の「ばり」する枕元、が正しいだろうとなってるそうです。
 尿前の関との連想から「しと」とよむか、馬の尿であるから、さぞかし滝のように流れ落ちる轟轟とした尿であろう、「ばり」の語感をあれるのがふさわしいととるか、どうも古い写しには「ばり」とふりがなが振ってあるのがあるそうで、最近は馬のばりする枕元、というんですな。
 たしかに昏い山道の途中、馬宿の暗がりのなか、馬もひとも共に寝るわけですから、小さな貧しい宿でしょうな、うすい布団のなかで蚤や虱に悩まされながら懸命に眠りをとろうとしているときに、ばりばりばり、と馬の尿の音が静寂を切り裂くわけです。
 どうでしょう、そのときの芭蕉の感情を只単なる驚きととるのはどうですかね。静寂、暗闇、そのなかの轟音はまるで雷鳴です。その瞬間に芭蕉と周囲の山山、木々、さらには新月の晴れた夜の満天の星空が一体となり電撃に打たれたような衝撃、禅の悟りにも通ずるような衝撃があったのではないですか。
 とすればここは馬のばりする枕元となるんではないでしょうかねえ。馬のしとする、じゃあ、しとしとしとしと、年寄りの小便ですよね。禅味もくそもありません。

 年をとるとねえ、ばりばりとはいかないんですよね。しとしとです。

 「人がいなくても水が流れることがあります」
 わかりますか。
 男性のかたはこの文章を読んだことがあるんじゃないでしょうか。
 女性のかたはちょっとぽかんとしておられるかもしれません。
 「人がいなくても水が流れることがあります」
 なんですかね、読みようによっちゃちょっと怖い感じもしますよね。だあれもいないのに、急に水が、さーっと流れる音がするんですな。
 実はですね、これは男性小便器のてっぺんに貼ってあるシールの文言なんです。要は便器の匂いや汚れを予防するために、時折流水で洗浄しますってことなんですね。
 ねえ、不思議ですよね。この世の中に男性ばかりが読んで女性は読まない文章があるんですね。
 「急ぐとも心静かに手を添えて外に漏らすな松茸の露」
 この狂歌もご存じですか。男性のかたは見たことありましょうねえ。これも小便器のそばに貼ってあります。意味はお読みいただいたとおりです。
 「急ぐとも外に漏らすな玉の露 吉野の花も散らば見苦し」
 「急ぐとも西や東に垂れかけな 皆見(みなみ)るひとがきたなかりける」
 「朝顔の花に絶やすな竿の露」
 いくらでもでます。

 お小水がね、ちょろちょろでますでしょう、やることないから便器になんか書いてあると読んじゃうんですよね。まあ、若い人なんかはさっと入ってきてさっと出してでていっちゃいますけどね。小さいお子さんなんか数秒でして出てきます。蝉じゃないんだからね。本当。
 ある程度年をとりまして、お小水の切れが悪くなりますと、朝顔に向かいましてちょろちょろちょろちょろと切れるのを待ちますと、なんとはなしに口をついて「南無阿弥陀仏」とお名号がこぼれます。
 意味なんてないんですよう、ただ出るだけ。
 お酒なんてのんでたら余計でしょうね。

ながいばり 南無阿弥陀仏のこころかな

 「南無阿弥陀仏のこころかな」
 これ便利な下の句でしてね、なんでも付きます。
 曼珠沙華 南無阿弥陀仏のこころかな
 十六夜の 南無阿弥陀仏のこころかな
 サラダ記念日 南無阿弥陀仏のこころかな
 ・・・彼氏が死んじゃってますけど。

 あたくしが言いたいのは南無阿弥陀仏じゃないんです。
 ながいばり。
 歳をとりますというと、なかなかお小水の切れが悪くなります。
 膀胱の力が弱るともいいます。たしかにお年寄りになりますと、腹筋がないですから、最後までなかなか出きらない。こう、拳でもって下腹をぐうーっと押して出したりします。 また、男性の場合には前立腺というやっかいものがおりまして。前立腺。前に立つと書いて前立腺です。英語ではprostata。それこそ前に立つものという意味なんですね。
 言い得て妙といいますか、確かに膀胱と尿道口、おちんちんのさきっちょですな、その間にあって、前に立って、ええ、お小水の邪魔をするんですな。
 膀胱、前立腺と、悪役が二人いるんですが、実は男性には女性にない問題がまた一つあります。
 尿道です。
 男性は女性に比べて尿道がながいんですな。
 尿道が長いがためにこれがまた悪さをすることがあります。
 こうね、お小水が終わった後に、そのものをしまい込んだ後に、先端より露の玉が漏れいづるがごとくに、ほんのすこーし、少しですよ。先をば濡らすことがあるんですな。
 量にしたらおそらく1cc。でしょうなあ。太ももを垂れて流れることもあります。
 この少量がですね、なんともいえない、このもの悲しさというか、悲哀、寂寥を感じさせるんですな。
 名残のひとしずくとでもいいますかね。
 忘れじのひとしずくとかね。
 男のかたにはわかっていただけると思います。

 膀胱がありますでしょう。前立腺が蛇口の栓ですな、年と共に出口が細くなってちょろちょろ出ます。で、尿道が急須の注ぎぐちです。これが男性の場合ながくてですね・・おちんちんがあるからなんですね。長さに個人差はありますが・・おじいさんは長そうですねえ、大きな声で笑って。よこのご主人はちょっとうつむいちゃってますけど。
 要は普通の急須というよりもコーヒーを淹れるときに使うでしょう、ケトルっていうんですか、この注ぎぐちが長くて曲がってるやつ。鶴口ともいうそうですが、この尿道の注ぎぐちの根元のところ、ここに尿が残っていて、ズボンにしまいこんだときにたらーっと出ちゃうんだそうです。
 ですから、おしっこの最後にですね、こっこをぐーっとしごくとかするといいそうです。あと、ズボンのチャックがやたら狭いと、おちんちんが上を向いちゃって、鶴口のまがりがきつくなりますから、根元に残りやすい。できればズボンをおろして、ぶらーっと下にナニが垂れ下がった状態で排尿するほうがいいそうです。
 思えば昔はみなさんふんどしでね。それもゆるゆる、おしっこのときとかはちょっと横から出してしてましたから、案外昔のひとは最後のちょろが無かったんじゃないかと、ええ、民俗学的には推定されるわけです。
 あの、おしっこするときにやたら胸をはって反っくり返ってするひとがいますね。なんだか難しい顔をして肩肘張っちゃってね。あの体勢はよくないです。おちんちんがもっと上をむいちゃうから。ここに残っちゃう。ねえ、会社の役員さんとか県知事さんとか、学校の先生とか、ああいう人たちはみんなおしっこのあとにちょろっときてます。怒られちゃうかな。

 トイレにおりますといろいろなこともありまして。
 ときは明治11年8月23日の夕刻、内務省のお役人西村織兵衛は退勤の途中神田橋の公衆便所にて用を足しておりまして、便所の外で数名の近衛兵らがじつに反乱のたくらみごとをしているところをたまたま聞いたそうです。お天子さまの御住まいに火をはなち新政府の高官を斬り斃すとの手筈、これは大変と慌てて内務省にとって返し上官に報告、右大臣岩倉具視公はそれを聞いて半信半疑ながらも備えを命じて大事に至らずに済んだという、世に言う竹橋騒動の一幕です。
 この西村織兵衛というかた、大手柄だったわけですが、その後は名を残さず、どうもあまり出世しなかったようです。厠だけに昇進ばなしも水に流れたんでしょうな。

 ええ、先ほどもいいましたが、尿前の関は宮城県と山形県の境、そばに鳴子温泉がありまして、鳴子温泉といいますと古くは玉造の湯といいまして続日本後紀や延喜式に記載のあるふるいふるい温泉です。旅寝を枕の商人が東山道を出羽国から陸奥国へと廻ります途中、尿前の関所をこえて温泉にきますと、ほっと一息、ゆっくり湯にもつかって骨休めしたでしょうねえ。 
 このあたりで天正16年大崎合戦というのがありました。
 仙台は言わずと知れた戦国の英雄独眼竜伊達政宗公と、対しますはご当地の大崎義隆公、出羽国奥羽の驍将最上義光(よしあき)公の連合軍の戦いです。
 戦いは様々ありまして、伊達政宗の母、保春院義姫さまの仲立ちにより和睦となりました。実は保春院さまは最上義光のふたつ下の妹君でして、実に仲がよくてらっしゃったそうです。伊達の輝宗さまに嫁ぎ政宗を産んだので、実は大崎合戦は伯父の最上義光公と甥の伊達政宗公の争いだったんですな。
 ですから、最上義光公も、保春院さま、ふたつ下の妹君さまに
 「おにいちゃん、もういい加減にして!」
 といわれたら、しぶしぶながら引き下がるを得なかったそうです。

 最上義光は大変な文化人で、連歌もよくしました。里村紹巴(さとむらじょうは)に乞われて送った発句が有名です。
 梅咲きて 匂ひ外(そと)なる 四方(よも)もなし
 梅が咲きましてね、風のない朝には梅の匂いというのはどこまでも拡がります、梅の匂いの届かない匂いの外は東西南北四方になく、どこまでも梅の香が拡がっているという句です。
 上の句に応じて、最上家臣氏家守棟(うじいえもりむね)が
 幾重霞(いくえかすみ)のかこふ垣内(かきうち)
と下の句をつけました。

 伊達政宗公も和歌が有名でした。わけて有名な歌には

 おなじくは あかぬ心にまかせつつ
 ちらさで花をみるよしもがな

 桜の花はいくら見ても見飽きない、同じことなら、花を散らさないでいつまでも見続けていたいことだなあ

 ってところでしょうかね。
 いい歌ですねえ。

 おおちょっと待ってくれ、すまんすまん、ちょっと小便していくからな・・いやいや先行ってくれてええで、いやいかんなあ、年をとるともう小便が近こうなってなあ、もう、いっぱい飲むとすぐや、これがなあ、いやいや、後から追いつくさかいにな、ぼちぼちいってや。
 ・・・ああ、今日はよう呑んだ、よう呑んだな。湯にもつかって、うまいもんも喰うて、え、みな久しぶりや久しぶりやと大騒ぎや 楽しかったなあ
 去年ももええ商売ができたなあ、仙台のご城下をでてよりぐるっと東山道を廻って十三湊から南にくだってな、出羽にきて雪に降り込められたが、ようようの雪解け、やっと尿前の関をこえたら鳴子の湯でもう梅もほころぶ春の日や。
 あかん飲み過ぎたな、小便がおわらんわ。不思議なもんやな、酒なんて呑んでも全部小水になって消えようもんやが、のう、なんぼのんでも、こうして消えて流れて川面に浮かぶうたかたの・・・おう、待たせて悪いなあ、すまん、まだやねん、まあ遠慮せんと先にいってくれ 
 はあ、ええ心持ちや
 ・・・なかなか小便が終わらんな。ん、もうそろそろ終わりかな。途切れ途切れに絶えなば絶えね白玉の、よし、もうよかろう・・・いやまだ出るな
 小便をしておるときというのは手持ち無沙汰でいかんなあ
 朝顔に向かっておっても目の前にあるのは格子窓、外ももう昏いなあ
 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
 ご名号もついてでるわい。そういえばこのあいだ、和尚が言うてござったが、阿弥陀様は五劫のあいだ衆生救済のための思索にふけったというが、そのあいだ小便には何回いったじゃろうかなあ。小便もさぞながかったであろうなあ

 だらだらと厠に居続けです。
 春の宵は心地よく、あとはなじみの宿に帰って寝るだけですから、なに急ぐわけでもありません。
 先ほどまではがやがやとしておりましたが、だんだんに人もすくなくなり、あたりもひっそりとしてまいります。

 と、厠の格子窓の外、なにやら人の気配。見ますと仙台城下の大店の主とその手代という様子です。
○どうですかご番頭さん、よい春の宵ですなあ
●へえ、見事なもので
○梅の香もほんのりと、宵闇にまぎれて香るのも風情がありますな
 主の方がふと立ち止まり
○梅咲きて 匂い外なる 四方もなし
 ご番頭さんも唱和して
●幾重霞のかこふ垣内
 ふたり顔を見合わせからからと笑いますが、と、二人ともに怪訝そうに、くんくん、と鼻をならします
○いや、梅の香かとも思ったが、なにやら臭うようですな
●なんの臭いじゃら
 と、厠のなかから声がして
□厠あり 臭い外なる 四方もなし
○やれ厠の前ではないか
●どうりで臭いわけじゃ
□外に漏らすな松茸の露
○なんじゃなんじゃ汚いしもが付いとるぞ・・・厠から歌がつくとは変な趣向じゃがこれならどうじゃ
 おなじくは あかぬ心にまかせつつ ちらさで花をみるよしもがな
□いやいや、吉野の花も散らば見苦し
○またも下の句が付いたようじゃ。これこそは鳴子におわす厠の仙人か、かくも見事な腕前、仙人には朝飯前でござったか
□いや、昨日越えたは尿前でござる

 

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