網膜剥離になり、眼が見えにくくなったことで逆に良かったこと、とは?
2019年3月、左眼が網膜剥離になりました。その後、足がけ約1年のあいだに4回の入院・手術を経て、傷としては治ったのですが、治療のプロセスで生まれた歪みやそれに伴う見えにくさは残っています。
その時の体験について綴った記事がこちら。
総じて周囲が見えにくくなったため、一見すると不幸な出来事と思えますが、実は1つ良かったことがあります。
それは、生きやすくなったということ。
前提として私は目や耳からの情報をすごく受信しやすいタイプのようで、
大量に入ってくる情報に振り回されたり、意識が外にばかり向いてしまう傾向がありました。
特に子どもの頃の経験もあったからか、周囲の人の顔色・表情・ジェスチャーのうち、自分の思うネガティブな感情が想起されるそれらっぽいものを見つけてしまうと、感情的に影響を受けやすい傾向がありました。(HSPと呼ばれる性質なのでしょうか。そこまで詳しく調べていないので分かりません)
そんなある種の生きにくさが、ある側面において眼が見えにくくなったことにより、自然と飛び込んでくる情報の量が減ったように感じられ、その傾向自体が弱くなったと感じられたのです。
その結果、私が感じたのが、生きやすくなったということでした。
もともと近視であり、視力は悪いのですが、そこからさらに見えにくくなったことで、逆に生きやすくなるとは・・・。驚きでした。
多様性がバズワードのように流布していますが、実際はまだまだ「普通はこうだよね」が多いと思います。
情報が少ないことで身体的性質?個性?特徴?への自己理解が進まず、結果として重荷を背負ったまま生活していることにも気づけない、という人もまだまだいるのではないでしょうか。
どうすれば、このあたりの情報が広がり、凸凹さを持つ自己を、そのように認知できる機会が増えるのか。
そういうことも考える時があります。
追伸、
とはいうものの、一番良かったのは眼がよく見えるまま、その性質とうまくやる方法を見つけられることだよなぁとは思います。過ぎたことなので特に何も感じませんが。
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