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分断と棲み分けは表裏一体!?

先日、朝活的な対話会で出た分断というキーワードについてふと感じたこと。

最近、仲間と今西錦司さん(※)について学んでいるのですが、彼の提唱した"棲み分け理論"というものがあります。それは「同じ種類の生物がそれぞれの環境に適応しながら住む場所を分かち合って生息する」というもの。

この棲み分けと分断は、似ているけど全然違うなぁ。

同じ事象をみてそこに分断を観るか、棲み分けを観るかというのがあるなぁ。何がこの2つの観点を分けるのだろう?

実際に分断を感じるとしたら、私はどういう状態のことを分断だとラベルづけをしているんだろう?

以前、「支援と支配は表裏一体だ」と教わったことがあるのですが、どの目的に置かれるかによって、分断と棲み分けも表裏一体なのかも。

そして支援と支配の質の違いを生むのは何かを探究した結果、目的が所有にあるのか共有にあるのかだという結論に至ったのですが、分断と棲み分けについても同じかもしれない。

所有意識と、分断がセットなのだとしたら、分断を観てそのように扱う時点で所有意識の肥大化に加担しているということなのかも!?というドキッとするような仮説も浮かんだり。

そんなことを思った朝でした。


※今西錦司氏とは?

1902年、京都西陣生まれ。生態学者、文化人類学者、登山家。京都帝国大学卒業。1939年、カゲロウの分布に関する生態学研究から「棲み分け理論」を生み出し、理学博士の学位を授与。戦後は、ニホンザルなどの研究を進め日本の霊長類研究の創始者として知られる。京都大学教授、岐阜大学長を歴任。79年、文化勲章受章。登山は、京都北山、日本アルプス、朝鮮白頭山、中国大興安嶺山脈、ヒマラヤにおよぶ。52年、日本山岳会のマナスル先発隊長としてヒマラヤを踏査。73年、第12代目日本山岳会会長。1992年死去

書籍『岐路に立つ自然と人類―「今西自然学」と山あるき』より引用


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