親にわからせようは不毛な選択【大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ/草薙龍瞬】
人の悩みの大半は、人間関係にある
・・・と言われますね。
小さな頃からの、
友だちとのケンカ
から始まり、
先輩後輩の上下関係が出てきて、
職場の上司なんかも出てきて、
パートナー間の男女問題とか、
実にたくさんの人間関係由来の悩みがあって、
いつの時代も常に誰かしらの存在が
頭のどこかにあったりして・・・。
でも、一番厄介なのが、
家族間の問題だと思いました・・・
それは歳を重ねるほどに実感する・・・。
もし結婚したら、
夫婦間、
そして、
義理の家族・親族との関係、
パートナーを好きで家族になったけど、
ついてくる血縁は必ずしも全員気が合うわけじゃなかったり。
(そりゃそーだ!)
しかーし!
人間関係の中で、
拗れた場合のラスボスは、
「実の親子関係」ではなかろうか?
オットと分かり合えない!!
も、
義両親に話が通じない!!
も、
究極、
「・・・ま、血が繋がってるわけじゃなし・・・
所詮、他人ってことでしょうな」
なんて落とし所を見つけられるけれど、
実の親子関係には
距離が近いゆえ、
共に過ごした時間の長さゆえ、
そして、
「同じ血が流れているんだもの、どこかで分かり合えるに違いない」
という妙な期待感が混じってしまうから、
実にめんどくさいことになったりする。
親への執着を手放す準備を始めよう
私は、
まるでテキストに則ってそうなったかのように、
わかりやすい(?)順番を経て
義両親との習慣の違いや考え方の違いに戸惑い、
それを共有しきれなかった夫婦間で戸惑い、
それら一つ一つを消化しようとする過程で、
実家の親との距離が近くなり、
いつしかお互いの心の境界線を越えていることで
頭を抱えた時期がありました。
その時、手に取った本の中の一冊が、
この本。
ブッダも悩むくらいなら、
私ごときが悩まないわけがないよね、と。
そして、
他の人間関係と同じように、
結局、悩みの根源は自分の中にあり、
自分がその事象をどう捉えるか?
がポイントだったのでした。
そう、相手に対する自分の気持ちが、回り回って、自分を苦しめていたんだ、ということに気づいたら、肩がふっと軽くなりました。
それは悩みが解決した、ということではなかったし、親の態度や言葉が何か変わったか、というとそういうこともなかったけれど、自分が相手(親)の出方をコントロールしようとしていることが、心を重く頑なにしていたんだな、と。
人は誰しも業を持っている
この本では、「家族は業の棲み処(すみか)である」という表現がありました。
誰もがそれぞれの業を持って生きている、その人間同士が近い関係性の中で一緒に生きているのが家族。
だから、誰か一人が自分の業を通そうとすると、自分の業を蔑ろにされた他の人間は不幸になってしまう・・・。
どんなに気が合うと信じている親子であっても、夫婦であっても、です。
相手は変わらない。
それは親に限らず全ての人間関係に言えることだし、相手にとっては自分もまた「頑固で変わらない」存在でもある可能性だってあるのよね。
それを押し付けることなく、抑えつけることもなく、知らん顔することもなく、ことさらに持ち上げることもなく、誰もが持つ業を認め合いながら生きていく風通しの良さを大切にしたい。
また、誰かの業をまるで自分のもののように抱えていく必要もないんですよね。
実母との大喧嘩で、お互いの執着の鎖が切れた
実母からの価値観を強く受け継いでいたんだな、ということを、だいぶ大人になってから自覚した私は、それに気づいた時にはかなり戸惑いました。
私の価値観と思っていたことが母からの受け売りだっただけ、ということが一つや二つじゃなくあり、それを自分の価値観のように振る舞っていたことを思うと、「本当の私」がわからなくなりました。
ある時、思い出すこともできないほどくだらない、ほんの些細なことから言い合いになり、「それってお母さんの価値観だよね?私に押し付けないで!」とばかりに、ぐいっと境界線を引きました。
・・・ま、簡単に言うと、それまでの人生でなかったくらい派手な喧嘩をしました。(そばにいた父も引いてた)
その瞬間は「もう、縁が切れたっていい!!」くらいの勢い(今思えば極端ですが、そのくらいお互いの無言の鬱憤が溜まっていたんでしょうね)。
不思議なもので、父が言うには、その距離感ができてからの方が母の機嫌が良くなった、とのこと。
「母が境界線を越えてきていたんだ」と被害者チックに思い込んでいた私もまた、実は、母からの執着を呼び寄せるようなことをしていたんですね。
お互いがお互いの執着を、スッと手放せた一件でした。
喧嘩したり、距離を置いたり、勝手に期待したり、勝手に裏切られた気になったり。
家族ってめんどくさい時もあるけれど、「相手にわからせよう/わかってもらおう」なんて執着を手放せたら、お互いが業から解き放たれ自由と安心を兼ね備えた心の居場所になるかもですね。
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