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ほんとの幸せって?

SNSは使い方を間違えたらおしまいだ。

遡ること約2ヶ月前の3月18日。マレーシア政府が強制自宅待機命令を下した。

理由はコロナウィルスの感染者数を増やさないため。最初は信じない人、状況が掴めていない人、又はその逆にすぐに信じた人。と、いろんな人がいた。

その後2週間が過ぎ、ついにマレ-シアで1日に200人以上の感染者が出てしまった。すると、沢山のデマがソ-シャルメディアを駆け巡った。トイレットペーパーがなくなる。食料がなくなってしまう。国が閉鎖してしまう。そんな根拠もない情報に大多数の人が引っかかった。

私もその中の1人だった。

地元のス-パーでは開店前から食料の買い溜めをするために沢山の人で行列ができ、お会計を済ますにもレジまでの行例の為、通常なら3分で終わるものが30分以上もかかった。中にはカートを2つ持ち、お菓子や非常食などパンパンに詰めてる人がいた。

私のほとんどの留学生の友達も母国が閉鎖する前に帰国した。

そのときはもう正しい情報も、間違った情報もすべて混ざっていたためみんな冷静を保てていなかった。そして、その情報に惑わされてとった私達のこの行動が今落ち着いて考えてみると合っていたのか?とふと考えている中で出た私の意見はこれだ。

人間は冷静をなくした途端に本性がみえる。

それは、新しく出た情報を全て信じてしまう人間だ。これは普通のことではないのか?と思う人もいるかもしれない。たしかに誰がどの情報を信じるかは自分の勝手だ。しかし、受け取り方を間違えると大変なことが起きるのだ。私がこの人たちをひとつのタイプとしてくくる理由は、その人たちがス-パーで自己中心的な行動をとっていたからだ。実際に私はたくさんの人がス-パーでイライラしているのを目撃した。中にはお客さんがたくさんいて歩く隙間さえないところを後ろから押して自分の取りたい食料を取ろうとしてる人もいたのだ。

私はその行動を見たときに人間の本当の恐ろしさを感じた。見た目は良い人そうなのに、気持ちに余裕が無くなったら自分がどう人に思われようがもう関係ないのだ。

人間は日々自分の本性を隠して、良い顔ばっかりしているのか?私ももしかしたらその1人なのか?こういう状況だからこそ深く考えてみた。そして最後に私なりの結論にたどり着いた。

ほんとの幸せを知ろう。

人間は常日頃欲望的だ。これが欲しいあれが欲しい。あの人によくみられたい。可愛くなりたい。誰もがこう考えたことがあるだろう。もちろん私もだ。

しかし人は欲しいものを手に入れた瞬間興味が薄れる。なぜならもうすでに手に入れたから。そんなの幸せの定義になっていない。ただの満足だ。

本当の幸せは物や他人から生まれない。自分から生まれるものだ。小さなことに感動した自分。ありがとうと言ってもらえて嬉しかった自分。など、自分の心に花が咲いたような感覚を得た時こそが本当の幸せだと私は思うのだ。

ふと考えてみると、なぜス-パーで見かけたあの女性は人を後ろから押し、自分の撮りたい食料を手に入れたことになにも思わなかったのかに気づいた。なぜなら、本当の幸せを知っている人は情報に惑わされてあんな行動はしないはずだと思うからだ。

もちろん私のこの幸せの定義を押し付けるつもりはない。ただ、人それぞれの幸せがあるはずだからだ。

ただ、自分にとっての幸せとは何かを考えるときには自分と向き合う必要があると思うのだ。

なので、1時間だけでも携帯や自分を惑わすものから離れて、あなたにとって本当の幸せとは何か考えてみませんか?





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