親が「よかれ」と思うものを俯瞰してみる 〜リケジョな子育て Vol.3〜
noteマガジン『東工大飛び級ママの「リケジョな子育て」』/第3号です。
このnoteマガジンでは、発行人・福所しのぶが、日経xwoman Terraceブログに投稿したオピニオンのうち、「子育て・教育」テーマのものをピックアップしてお届けしています。
今回は2021年11月26日の投稿『バイアスに気づき、超えていく子育てとは』から、改題および一部再編集してお届けします。
元の投稿は、下記リンクの日経xwomanに掲載された『坪田信貴「昭和な思考」が子どもの学びを阻む危険性』というタイトルの記事を受けて、感じたことや気づきをシェアさせていただいたものです。
※以下の本文中、「参照記事」とあるのは上記リンクの記事を指します。
昭和な思考、子どもの学び、とくれば、
「ん?わたし向けの記事か?」と思わずにいられなかった上記の参照記事。
特に「親の発言や行動が子どもの可能性を奪ってしまうこともある」という指摘には、親としてドキッとしてしまいます。
参照記事では、親世代が経験してきた「暗記中心の学習」から、今の時代は「知識の暗記より、自分で考えて自分なりの答えを出すことを大切にする」流れへと変化していることを取り上げています。
つまり、親自身が経験してきた学習法は、今の時代に必ずしも合わない。しかも、そのことに親自身が気づきにくく、親の経験を子どもに押し付けがち、ということです。
でも、ここでふと思うのです。
親と子のジェネレーションギャップは、親が昭和思考かどうか、ということに限らず、いつの時代もそこにあるのではないかと。
例えば、親は子どものためによかれと思ってアドバイスしたけれど、子どもにとっては重荷だったり、時には反発されたり。これって、「昭和vs令和」に限らず、なんとなくよくある光景のような気もします。
私自身のことでいえば、これまで学習面で達成してきたことのおかげで、今に至るキャリア形成ができていると感じています。よい成績をおさめるように勉強することが、私にとって成功体験の土台となっているわけです。
成功体験だから、よかれと思って同じことをついつい子どもにも勧めてしまうし、そうできる環境を整えようとするのは、私にとってごくごく自然なことです。
とすると、これはバイアスなのだろうか…
ただ、純粋に「学ぶこと」だけをみると、これが大切であるのはいつの時代もかわらないはず。そうすると、バイアスは悪、バイアスだから捨てる、という単純なことではなくて、バランスを考えて調整するという視点を持つことが大切なのかな、と思います。
参照記事にも、子どもにとって選択肢を増やしたり、自分で選ぶ力をつけるように働きかけることが大切とありました。
そうすると、親に必要なのは、
・自分の成功体験にこだわらずに、
・ジェネレーションギャップを俯瞰して、
・子どもが自ら道を切り開けるようになるのを助けること、
といえそうです。
ん?
これってなんとなく、「よい上司」の条件にも出てきそうな気がしませんか?
子育てと仕事の相乗効果、また一つ発見しました。
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