異物があると怖い
自分が異物と判断すると人は本能で怯えます。
今までの生きてきた経験に基づく怯えと、
ここは、恐らくの根拠のない持論ですが、異物の対しての恐怖を
DNAが「そんなもんしら~ん」と悲鳴をあげてる瞬間かと
私は考えています。
つまり、異物とはその人が経験のない未知のものと遭遇したことで
どうして良いかわからないから怖い。
近い将来、そのわけわからないものに自分もなってしまうのではないのか?
その時、自分はどのように対処したら良いのか知らないから怖い。
だからこそ、異物が側によるようならば、
自分の持っている全ての経験を動員して排除する。
となるわけです。
生きのびるための本能ですから、決して間違っていないのです。
ところ変われば、感染症の研究者なら、また違う経験を動員して、
歓迎はしないけれど、知識がない不安を抱えて怯えているだけの人とは違う行動を起こします。
知識がない不安を抱えてるだけの人をけなしているわけではなにですよ。
つまり、異物があると怯えるのは人間の本能であり、当然のことです。
しかし、この感染症は、どこでどのように移って、罹患したことによりどのようになっていくのか予想がたたない状態でなので「排除」しようと考えてしまうのは時代もあるのかな?とも思うのです。
「鬼滅の刃」はベストセラーになりましたが、鬼を滅すると鬼との共存は望まない。やっつけるぞ!とらえることが出来るのです。
ひと昔前ですと「鬼」は自分たちとは違う怖いものとしてとらえていたので、「滅する」とは考えていませんでした。
今や鬼を滅すると考えて、異物は受け入れない排除すると強く考えすぎていないでしょうか?
進んで罹患する必要はありませんが、相手の姿が見えない今、
白か黒かで決めつけたいけれど、共存なんて願い下げで、明日、起きたら消滅していて欲しいけれど、誰しもが感染したくて罹患するわけではありません。
コロナとの共存もしなければならないのですが、罹患した人が正直に
「罹患したので関係者は保健所に(もしくはかかりつけ医)に検査してもらってください」と正直に伝えられる環境を作っていきませんか?
その方が、見えない異物を無駄におびえる必要はないかもしれません。
なんてことを考えた今日でした。