見出し画像

第14話 都の義仲

子役がかわいくて、美しくて・・・
安徳天皇の「麿もか?」か弱くかわいらしい声で言われちゃうと、
「ダメよ。一緒について行ってはいけませんよ」と言いたくなりました
大河ドラマは、結果が分かっているものを1年かけてドラマ仕立てに
しているものなので、かわいい子役が程度どうなるのかを知っているゆえに
淋しさも感じます

さて、冒頭に義仲は京で後白河法皇にお目通りが叶った
後白河法皇「何よりも急ぐは、三種の神器の奪還!」
(三種の神器の説明等中略)
源行家「必ずや取り戻し奉りまする」
後白河法皇「まぁ~しばらくゆるりとして、戦で疲れた体を休めよ」

この発言の後白河法皇は本気で「疲れた体を休めよ」
と言ったわけではない。
建前からでした

なぜなら、目上のたんこぶの平家を都落ちに追いやってくれて、
戦続きの木曽義仲に「さらに、がんばれ!」とは言いづらかったのでしょう
その証拠に源行家と双六をした後、後白河法皇、丹後局と平知康でのやりとりに苛立ちながら
後白河法皇「(双六を扇子でちらし)あ奴と双六をしても、つまらん!
      いつのなったら出陣するのかの?」
丹後局  「ゆっくりせよなどと仰せられるからです」
後白河法皇「ゆっくりせよと言われて本当にゆっくりする奴があるか!
      義仲も行家もがっかりじゃ」
もし、義仲と行家が、後白河法皇の御めがねにかかれば、
ゆっくりしていても大丈夫だったのでしょう
では、なぜ後白河法皇は「何よりも急ぐは、三種の神器の奪還!」と言ったにもかかわらず「ゆるりとして、戦で疲れた体を休めよ」と
義仲に伝えたのでしょうか?

後白河法皇と義仲と過去にお互いが分かり合えるようなコミュニケーションがありませんでした
海のものとも山のものともわからない相手に対して、自分の「信」を汲んでくれる相手なのか?試すには、自分がどちらに転んでもよい言葉を使わないと、自分を守ることが出来なかったのではないかと思います
平清盛と渡り合ってきたお人ですから、話術は長けていたのでしょう

そこに、頼朝は公家文化を知っているだけあり、
詫びを入れるうえに貢ぎ物を送っています

ところが、木曽義仲は公家文化の雰囲気に合わせることができない
後白河法皇は「何よりも急ぐは、三種の神器の奪還!」と2度も言っているにもかかわらず、軽くみて(ディスカウント)しまい
三種の神器と自分の刀を同じ立ち位置に持っていってしまうような、
相手が重くみているものをないがしろにしたような行動を
起こしてしまいます
義仲に悪気があったわけではないのだけど・・・

最後に丹後局に理由を指摘されます
丹後局「義仲、法皇様はお会いになりません。」
源義仲「一目だけでも・・・」
丹後局「わからないのですか?
    そなたに肝心なのは都の何たるかを知ること。さがりなさい」
恐らく、義時は具体的に「何」とはわからなかったと思われますが、
「ここにはいられない」とは感じたようでした。
京に長く住んでいた、大江広元の読みがあたりました

人の言葉の中には、必ずと言ってよいほど感情と個人が経験してきた、
思考が含まれています
読み解くには、コミュニケーションが必要です
そして、身近な人こそ決めつけずに思い込みでディスカウントせずに
接していきたいものです・・・が1番難しいw

自分の立ち位置をしり、役割を活かして立ち回るためには、
相手を知ることは必要なことなのかもしれません
心理学である交流分析は、使いやすいツールではないかと思います


よろしければサポートお願いします!