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第21話 仏の眼差(まなざし)

(写真は川つながりの奥入瀬渓谷です)
 今回は、取り上げる部分が多すぎてまとまらない(笑)
とりあず、八重さんの退場にロス
確かに、阿波局に関してどうなるの?とは考えてましたが、
ここで、ですか・・・(泣)

さて、八田知家の登場とともに鶴丸が「なぜ、今ここで?」と
思わせる登場をしてきました
その直前に義時1人の場面で、義時は何かを考えこんでいて
後悔・罪悪感が出ています
これは、前回の義経の件に関して思いを巡らせていたのでしょう
その証拠に土肥が話しかけてきたときに
「九朗殿のことを・・・考えておりました」と返答をしています

ここで、1つ
後悔や罪悪感は、誰しもが抱える感情です
特に過去の出来事に対して抱くこの感情は、
抱えているだけだと何一つ問題を解決しません
後悔や罪悪感の裏には解決できる本物の感情があるのです
しかし、本物の感情を認める、受け入れることは非常に心の抵抗が
起こります
義時の義経に対しての本物の感情は「時薬」が必要かもしれませんが、
本物の感情に気づき、次は同じ行動を起こさないような
問題解決に向けての行動ができるかもしれません

交流分析では、問題解決の出来ない感情を
ラケット感情(ニセの感情)
問題解決ができる感情を本物の感情と言いますが、
今回は割愛します

さて、鶴丸と金剛のケンカの後の話です
八重は、鶴丸のことをかばいます。しかし、金剛は逆らいます
それでも、八重は言葉を尽くして金剛に説明します
セリフは割愛しますが
八重「淋しいからきっと、そんな風にいったのね。
   あの子のご両親は飢饉で亡くなりました。
   鶴丸はいろいろなところに預けられ、
   嫌な思いをしたの。
   だから、わざと人が嫌がることをするの。」
金剛「いけないことですよね」
八重「うん。鶴丸お気持ちもわかってあげて。
   相手にして欲しいのです。」

ここまでで非常に多くの情報が詰まっています
鶴丸は、両親を飢饉で亡くし預けられて嫌な思いをしていた
本来なら、親の愛情の中ですくすくと育ち本物の感情を養育者や
周囲の大人に受け取ったもらえる経験かそれが受け取ってもらえなかったら
様々なラケット感情を表出することで、
「このような時はこのような感じだと怒られない」
「このような時はこのような感じだと受け入れてもらえる」などの
生きのびる知恵がついてきます

しかし、受け取ってもらえなかったらどうでしょうか?
また、与えられるものが「殴る」「蹴る」「怒鳴る」と言った、
否定的なものだけならば、その幼い未熟な心は何を学ぶのでしょうか?
相手をして欲しい、かまって欲しい、自分がここにいることを認めて欲しいと感じた時に「殴る」「蹴る」「怒鳴る」しか学んでこなければ、
その行動で自分の存在をアピールすることしか出来ません

比較として、金剛は母親である八重に対して
まず、母の話を聴く・(未熟であっても)自分の意見を伝える
その答えもしっかりと確認しながら聴く
さらにわからないこと(自信が持てない事)は訊くができています
普段から養育者や周囲の大人との関係性が垣間見える場面です
また、大事なポイントですが八重は鶴丸の行動に対しては、
金剛の言う通り「いけないことですよね」に同意しています
しかし、その後に人格を否定する言葉は言っていません

また、八重も金剛に対して、金剛に心を向けていることを
素直に伝えています
金剛「母上は金剛の母上です。私だけではダメなんですか?」
八重「辛い思いをしている子を助けてあげたいの。
   でも、あなたが1番大事」
と言いながらてをつなぎ、金剛から走りより抱き合いました

金剛は、自分の存在をしっかりと認められて安心することができた
のではないかと思われます

人は、存在認知をされる行動を受けないと辛くなってしまいます
交流分析を提唱したエリック・バーン博士は、
「存在認知の刺激の一単位」をストロークと定義しました
ストロークの質と量によって、幼い頃に「このように生きよう」と
幼いながらも決断して人生脚本を作っていきます
ただし、幼い未熟な時に決断したことを大人になっても続けているのは、
いかがなものかと感じることもあります

別件ですが・・・
義時をもてあそぶ頼朝には腹が立ったのは私だけかしら?w

*今日の夜から値段が変わります
 お早めに・・・

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ライフリメイクタナカ
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