第37話 オンベレブンビンバ
副題である「オンベレブンビンバ」に振り回された1週間
まさかの大姫の呪文?伏線が遠すぎて忘れてました
「正しくはオンタラクソワカである」とナレーションが入ったw
私的に笑えたやりとりですが、義時と泰時の親子のやりとりです
義時「父の側で働くには不服か?」
泰時「そんなことはございません」
義時「ならば、もっと晴れやかな顔でいろ」
泰時「生まれつきこうゆう顔にございます。
ご不満ならご自分をお責めください」
義時(鼻で笑う)「言うのう・・・」
しかし、義時もかつてはそうだったように、ある程度言いたいを事を言える
関係性を泰時とも築こうとしているように思います
ちょっと真面目過ぎて実直過ぎる泰時に受け継がれるかどうかは
わかりませんが・・・
では、時政はどうかと言うと
お餅を持ってきた、時政と時房とのやりとり
時政「やることがねぇ~って楽でいいなぁ~」
時房「一緒に食べませんか?」
時政「硬いのはダメだぞ」
時房「こっちの方が柔らかいかな?」(と言いながら餅を触りまくる)
時政「お前、悪いけど政所に行ってさっ俺の褥とってきてくねぇ~かな?
どうせもう、使わねぇ~んだけら」
時房「また、そうゆうことを・・・はい(お餅を渡そうとるるが)
あっ、ちょっと待ってください」(お餅を触りまくる)
時政「お前はどっち側なんだ?ワシか?小四郎(義時)か?」
時房「おかしなことを申されますね。北条は一つです」
時政「腹立つ顔だなぁー!」
時房「わかってあげてください。兄上は父上を守ろうとしているのです」
「はい」と言ってお餅を渡そうとするも
「こんなに触りやがっていらねぇ~よ」と時政に断られてしまう
なんとなく、嫌な気持ちになるもののそれ以上もそれ以下なし
やはり、お互いを思いやる関係性があるように感じます
同じ親子でテーマは「顔」ですが、この対照的に描くところは、
三谷幸喜氏なのでしょうね
さて、信頼関係がある状態で伝えたいことを伝えあえるのは良いことです
しかし、信頼関係があったとしても良い方向にばかり
展開するわけではありません
例えば、
義時「ならば、もっと晴れやかな顔でいろ」
泰時「生まれつきこうゆう顔にございます。
ご不満ならご自分をお責めください」
この後に、義時は鼻で笑い相手を認めるように「言うのう・・・」と
やりとりを終えています
もし、ここで義時が
義時「お前はどうしていちいち俺の言うことに逆らうんだ!」
泰時「何をおっしゃいます。ありのままを伝えてるだけではないですか?」
義時「そうゆうことではなく、いちいち逆らうからだ」
泰時「はい、でも事実を伝えてるだけです」
義時「わかってる、お前は俺の息子だよ」
泰時「はい、でも晴れやかな顔と言われましても・・・」
義時「俺が晴れやかな顔をしてないって言いたいんだろ?」
泰時「はい、いえそのようなことは・・・」
・・・すみません、私は脚本家にはなれませんねw
最終的に、お互いが嫌な気持ちになるこじれたやりとりになり、
腹の探り合いとなり距離をとれればいいのだけど、
もっとわかってもらおうと、やりとりを盛んに行い
益々、関係がこじれていってしまうやりとりがあります
交流分析では「心理ゲーム」と言います
こじれると予測出来ているにもかかわらず、
繰り返し身近な人に仕掛けてしまう「心理ゲーム」は、
時間を長く使えて、真剣にやりとりをしないとやりこまれてしまうので、
内容が密となり、やっぱり自分の思い通りにはならないと双方が確認し合う時間を過ごすことになります
心理学を学んでいたとしても、ついつい仕掛けてしまう心理ゲームでもあるのですが、その仕掛けやすい傾向はそれぞれがお持ちです
その傾向に気がつくことも必要です
しかし「わかっかちゃいるけどやめられない」のもポイントでして、
そのようなやり方しか知らないのかもしれません
他を知らないと気づくこともできないかもしれません
交流分析は一種の生涯発達心理学とも言えて、
変化や成長の中で変わっていく環境や自分自身の生きづらさを感じた時に
自分を振り返るツールであり、見直すきっかけをつかむことが出来る
心理学です
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