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肚(はら)で撮る

引越し先が決まりました。だから電車に乗ることにしたんです。

もうこの駅から乗ることも、ここで降りることもないだろうな、って所に行こうと。いつか懐かしいと思うことの先取りです。

あれは何だろう、ってずっと思ってる
ピッてするとき、毎度緊張する
無法地帯の抜け感に、救われてた
電車を待って撮ったこと、なかった
暗算がめっちゃ得意な、八百屋さん
こっち側から
そっち側から
何度も見上げた場所、雪が舞う

今までわざわざ撮らなかったのに、去ると決まって撮りたい気持ちになりました。記録的写真なのでしょう。

公開したとて、どなたにも思い入れがない、どこか知らない場所でしかありません。

写真を通じて伝えたいことがあるわけでも、大喜利がしたいわけでもありません。

ただ、ふと思ったことがあったんです。

わたし、
肚(はら)で撮ってる

と。

小説家のよしもとばななさんがこんな一説を。

「そのつど考えて、肚に聞いてみなさい、景色をよく見て、目を遠くまで動かして、深呼吸しなさい。そして、もしもやもやしていなかったらその自分を信じろ。もやもやしたら、もやもやしていても進むかどうか考えてみなさい。そんなもの、どこからでも巻き返せる。」

「花のベッドでひるねして」(毎日新聞社)


おそらく、この感覚がわたしの中に眠っていたんだと思います。

受け止める覚悟がないと、写真が撮れないんです。目を逸らしたいことがたくさんあり過ぎて、日常をただやり過ごすことの方が楽だと知ってしまったから。

非日常で写真を撮ることは、華やかな思い出になります。開放的で自由で、その瞬間にしか存在しない自分の感覚を楽しむことができます。

一方で、日常で写真を撮ることは、過去も今も見据える未来も記録されてしまいます。その瞬間は無意識なのに、フォルダから見つけた時の衝撃たるや。

体温と脳内物質が潜んでいる写真を見返した時、意識のもっと手前があると確信するのです。

写真で表現する人がいます。
主張、問題提起、証明、ラッピング。

写真で対話する人がいます。
探す、見つける、愛でる、馳せる。

毎日見ていた景色が明日変わってしまうとするなら、あなたは今日、どんな写真を撮りますか。

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こゆき(koyuki)
いつも温かいサポートありがとうございます。大切な時間をくださって、すごくうれしいです。これからも心を込めて書いていきます。