花に想う
お花、スキですか?
2019年のドラマ『高嶺の花』を定期的に見る。華道の名門『月島流』本家に生まれ、美貌、財力、家柄、才能がある、月島もも(石原さとみさん)の破壊と再生の物語。
「月島流」の神髄は、「たゆたう光と影」。お花がいつも華やかで美しく、見てうっとりする。お花、キレイだなぁ、と。尊いなぁ、儚いなぁ、と。
このドラマのテーマには、「あっちのワタシとこっちのワタシ」がある。人間の二面性のようなもので。裏表とも違う、2人いる、いわゆるもう1人の自分。
この事について書いたかな?と、自分の記事を検索したら、1年に1回、このドラマを観て同じようなことを書いていた。ざっと3記事。
書いた記憶が、ない。
わたしの中で何かを思い出したり、感情のゆらぎが揺蕩うループが訪れたときにこのドラマをまた見るのかもしれない。
今日の落としどころは何もなく、取り止めのない、ぼんやり回。
お花、スキですか?
わたしは、お花が好きだけれど、お花を贈られると少し悲しくなる。
お花には宿っている命があって、それを大切にしている人を見たことがなかったから。
近所に信頼できるお花屋さんがあって、わたしが誰かにお花を贈るときは、必ずこのお店にお願いしている。
初めてこのお店に入って、お花のアレンジメントを見たとき、この世界に住みたいと思った。お花がよろこんでると思った。お花たちの声が聞こえている人が触れたお花は、お花の空気がそのまま残っていて、何ものにも汚されていないと知った。
その時、わたしがお花を贈られると悲しくなる理由がわかった。とりあえず花だけ送っておけばいいだろ、っていう人からもらうお花は悲しい。
1度だけわたしから、お花を贈って欲しいとお願いしたことがある。それもなんとなくなんだけれど、お花の声を聞けるんじゃないかと思っていたのかもしれない。
受け取って、やっぱりね、と思った。
お花を大切にできる人を信頼すると決めている。
花も命もたいせつ。生きとし生けるものを大切にしていける人はうつくしく、尊い。