
マリッジ・ストーリーに想う
離婚プロセスに戸惑い、子の親としてのこれからに苦悩する夫婦の姿を描いた映画「マリッジ・ストーリー」を観た。
父親に対して想うことは、
子と一緒に居続けたい、育てる覚悟がステキだった。
母親に対して想うことは、
自分の人生を生きる、選択への覚悟がステキだった。
結婚も離婚も結局は、覚悟。
子どもがいる離婚。
日本では、父親が親権を得る確率が10%未満と言われている。理由はさまざまだが、父親に覚悟がないのではないかと思う。
離婚調停になったとき、父親がとりあえず親権を主張する。それは、父親としてのプライドもあるし、子どもに対して、せめてもの愛情表現をしたいと思っているのだろう。
だけど、その時点で父親はもう気づいている。実際に、子どもと父親である自分だけの環境で育てていくのは尋常じゃない。父親は、自分の時間と労力が犠牲になること、判断を多々迫られること、直接向き合わないといけないことも多くなることにめんどくささを感じるのだ。
だから結局父親は、「母親といた方が子どもが幸せだ」という都合のいい言葉で逃げる。子どもにも「母親と過ごした方が幸せだよね」と促し、自分が子どもを手放したのではなく、自分は子どもの幸せを選んだということにする。
父親がよほど家事育児に関与していない限り、子どもへの愛情は、「母親が取り巻いている環境下での子ども」への愛情である。家にほとんどいない父親に敬意を払うように仕向けているのも母親である。
母親は、ひたすら写真を撮る。スマホを欠かさず記録する。それは、子どもの成長を自分のために記録するのではない。子どもの成長を一緒に喜べるように、成長の瞬間に立ち会うことができなき父親にシェアするために記録する。もちろん将来子どもが自分は愛されていたことを実感するためにもなるけど。
母親は、毎秒子育ての試行錯誤をしている。そして、親子がスムーズにいきそうだというノウハウを見つける。それを父親に引き継げば、うまく育児に参加できていると思え、父親のストレスが少なくなる。父親が育児を面倒だと思わない方法も日々生み出しているのだ。
子どもと父親が直接会話をし、意見を言い合い、お互いの価値観を交換することがなかった関係であれば、その関係は父親と子どもの2者間じゃなくて、常に母親と子ども、父親の3者間なのだ。
だけど、母親と子ども、父親と子どもの2者間同士で共に歩む方法はある。それがこのマリッジ・ストーリーで見ることができた。子どもに関わり続けると決めた夫婦が私にはすごくステキに見えた。手を離さないでいてくれたことを子どもの頃の私はうらやましいと思った。
いずれにせよ、浮気は一発退場。
愛情で許される範囲には限度がある。
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