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拗らせ愛がつなぐ『家族の誕生』

『家族の誕生』という映画を観ました。3パターンの展開が順々にあって、最後でそれぞれがつながる構成でした。男女の出会いで新しい家族ができるが、それはどれもひょんなことから、というストーリーです。

ベースにあるのは、拗らせ愛、な気がしました。胸キュンラブコメディとは遠く、そういう恋を選んでしまったのか、という感覚です。

この映画が3部構成と表現させていただくとして、1部、2部まで観たときには、「結局のところ、女性が全部引き受けるじゃん。男性ってやっぱり逃げるじゃん」と思いました。だから、3部で自由奔放な女性が男性を翻弄していくのを観て、1部、2部の気持ちを回収してもらえている気がし、よいよい、それは仕方ない!なんて、どこか応援してしまう自分がいました。

ここからは3部の男女の話だけにフォーカスします。このパートで出てくる自由奔放な女性は、どこかに愛されるきっかけがあればその瞬間に無意識にすり寄る性質を持ち合わせていると思います。可愛さ、無邪気さ、人懐っこさが揃って、漂流女子というイメージです。

このパートの男女逆転バージョンはないだろうか、考えてみたときに、『最高の離婚』というドラマを思い出しました。2013年に、木曜日22時枠で放送があったドラマです。この中の綾野剛さん演じる男性が自由奔放で、女性たちを振り回していきます。密度、深入り度は違いますが、なんだかよくわからないけど吸い寄せられるように異性に歩み寄るのです。漂流男子というイメージです。

『新しい家族』では、自由奔放な女性が彼氏の家族と会う約束の日にすっぽかしてしまいます。
『最高の離婚』では、自由奔放な男性が彼女との婚姻届を出さずに犬を探してそのままにしてしまいます。

でもどちらも悪気はない。
いやなんとなく、流れで、だってどうしたら良かったの?という具合です。

おそらくこの手の漂流男女は、異性に対して最短距離で関係を深めることができる才能があるんだと思います。

例えば、関係性のない異性に対しても
「おいしい!これ飲んでみて」
と、ストローのついたドリンクを平気で渡すことができる。
その感覚の延長で
「抱きしめたよ、だって泣いてたし」
にまで発展する。

一方で、漂流男女に振り回される相手の嫉妬は火事です。信じられない、自分は大切にされてないんだと感じても離れることはできません。相手を信じるというよりは、執着が止まらないのかもしれません。自分が離れたら誰かがこの人の恋人になり家族になってしまう。この人は変わらない。だったらここを引き受けて我慢できる自分だけが唯一無二の存在になれると思っているのかもしれません。

ここに何かの恋愛テーマがあるとしたら、
帰る場所になれる人
という気がしました。

『最高の離婚』のドラマの中に自由奔放な男性を受け入れる妻としてこんなセリフがあります。
「最終的に旦那の喪主になれればいいんじゃないかな?妻って。」
この域に行くとき、自分の恋愛観がとても高まった印象がある気がします。愛が深いようにも思えたり。究極の愛だと捉える人もいるかもしれません。拗らせれば拗らせるほど深いと感じるのが愛情のトリックでしょうか。

この拗らせ愛は、哲学者の恋愛の特徴ではないでしょうか。答えのない問いの中で自分自身の愛を見つけ、育て、どこかで繋いでいくことを探し続けるような。ソクラテスとクサンティッペもこんな恋愛をしていたのでしょうか。

『家族の誕生』で好きなシーンは、3部の男女が最初は毛糸玉を投げつけ合ったり、最後は橋の上で押し合いへし合いするところでした。2人の幸せな時間が確かに存在するあたたかさがありました。

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こゆき(koyuki)
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