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社会の価値観と需要の移り変わり

わたしは幼い頃「四面楚歌」という言葉が好きでした。今でも気を抜いているとすぐに最上位に上り詰めてくるお気に入りの言葉です。

自分に近い言葉だと思っていたし、
「楚」の漢字のバランスが好きだったこと、
なにより意味を知って
敵が四方八方から敵国の歌を歌っているという「敵だらけ」を間接的に表現した詩のような音が美しいと感じていました。

わたしが16 Personalities診断でINTJという結果を初めて出した頃
Googleしてみると検索上位ワードは「社会不適合」「性格悪い」「最低」で埋まっていました。

いつものことだ。
またいじられてるなと受け取っていましたが
あれから5年ほど経った今

「INTJは優しい」
という声すら度々聞くようになりました。

INTJは人々の主張する感情的、心理的、生理的、経済的、社会的かつ物理的な需要を要件として汲み取り最適の改善策を生み出すマシーン。
人の感情など当人でも不明確なもので抽象的なもの。ルールもガイドラインもない他者の感情に直接共鳴はできないがあなたの主張がそれならばそれを要件としますので事実を述べてください。どんな理由であっても嘘を言われたら整合性が取れなくなるので応対をやめますが正直でいてくれる以上わたしはこの状況に最適な案を出し続けますという功利主義なのも特徴。

「好き」「嫌い」で終わらせず何が違和感なのか、どこに相性の不一致が生じるのかを熟考し多様性を受け入れ最適案を打ち出すINTJは
プライベートの友人関係ではうまく機能しなくても多くの仕事場では高質なパフォーマンスを発揮することが想像できるかと思います。

わたしは若い頃から、プライベートを捨てて仕事に全精力を投入してきました。
わたしには人の需要はわからない。友達が泣いていても悲しんでいても、その時に「大丈夫?」と聞こうとは思いつかない。その言葉をかける生産性がわからなかった。
その代わりその状況から物理的に脱却するための方法を考案し続け、友達が救われ長い目で見て良好な環境に置かれることを支援することはできる。

心理学もマーケティングもわからない。わたしにできることは淡々と作業をこなし事業に貢献することなのだろうという自覚のもと、事業や会社というものが、人や社会の需要を分析し、需要に供給するものとして設計されているのならばわたしはそこに加担することで自動的に社会貢献ができる。
わたしは事業の中で作業者としてやるべきことをやることが適当なのだと考えた結論の立ち回りでした。

そんなINTJのスタンスが評価されたのか、INTJは頭がいいとか、INTJはそこまで堅物ではないとか、INTJを評価する声が上がり始めるようになったのはここ数年のことだと思います。

仕事で整った効率的なパフォーマンスを評価され、対人関係では差別のない態度で礼儀正しく品行方正に接するINTJを「いい人」とする声すらあがるようになり、「適材適所」という言葉はまさに適当だと思うようになりました。

わたしは愚痴には乗れません。
「あの子最低だよね」と言われても法律に反しておらず道徳的にも相当な被害をもたらしていない限り、「最低とは抽象的な言葉だな…」統計的に被害を被った人の数と規模を考えようか…と思いながらもそんなことを言っても場が盛り下がるだけだろうとふと姿を消す。

「もうほんと最悪でさー、信じられなくない?」と言われても多様性なので色々な人がいるよなと思い

「友達が自己中すぎて自分のことばっかり考えてるの」と言われても承認欲求は人間の本能的な欲だしなぁ。理性で抑えようと試みない人もいるよなぁ。本人は苦しむだろうけど…と

愚痴に乗るのもどこから始めたらよいのかわからないので、話を変えたり遮ったりすることが多いことから、「つまらない人」「友達甲斐がない」と思われがちかもしれません。

しかし仕事という全関係者が尊敬と尊重を持って共同作業を行う場ではわたしの全力を発揮することができます。
契約条項を丸暗記し、メールを14件同時に開き1つも間違いなく送り、返信以降は然るべき担当者へ引き継ぎ、ショートカットを駆使しながら二言語で電話で契約をまとめながら経理処理をする。「効率厨なので、生産性に全振りしたショートカットをクリエイティブに導き出す」のもまたINTJの才能。

仕事環境で評価の高いINTJである以上、プライベートがポンコツなことは仕方がない。わたしにはできないことがあり、それができなくて良いのならばできることを伸ばすしかないのだと。適材適所なのだと心に落としています。

人は未知のものを見下し軽視すると言います。
INTJは実際16 Personalitiesの中では上位3位ぐらいを争う人口の少なさだし、何を考えているのかわからなければ近寄ることもできないはず。

だがINTJを知る者が「Tであることで人生が楽になった」という声をあげることで、そしてINTJの友達が好きだと述べ、わたしに然り本質的に寡黙なINTJが己に継いて綴ることで理解は促進し、理論上差別は減るものと推測します。

社会不適合と言われていたINTJが評価され
シゴデキと言われ優しいと言われ
それだけでも社会の価値観や多様性の拡張が目に見えて、社会の道徳の発達はここまで速いのかと、目を見張るものがあるのです。


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