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きょう心にしみた言葉・2022年11月28日
困るのは、返す刀でそれが条件の異なる他者に向けられることだ。「自分も頑張ってきたんだから、お前も頑張れ」という言い方は、多くの場合、自分の想定する範囲での「客観的状況の大変さ」や「頑張り」に限定されている。その時、得てして自他の“溜め”の大きさの違いが見落とされる。それはときに抑圧となり、暴力となる。
貧困問題に取り組む湯浅誠さんは、貧困の最大の特徴は問題や実態がつかみにくいという「見えにくさ」だと指摘します。貧困の姿が見えない、実態が見えない、問題が見えないことが、自己責任論を許し、それがまた貧困を見えにくくし、自己責任論を誘発する悪循環を生んでいると。湯浅さんは、著書の中で、繰り返し「貧困は自己責任ではない」と訴えます。現代の日本は、貧困へと一直線に落ちてしまう「すべり台社会」です。すべり台の途中に歯止めを打ち立て、貧困に陥りそうな人々を包摂し、“溜め”(ため)を増やすことが大切だと提起します。湯浅さんが言う“溜め”とは、お金や財産だけではなく、その人を守る家族、友人らの人間関係、様々な社会的関係の全体を指す言葉です。どれだけ“溜め”を増やせるか。社会の力が問われます。
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