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きょう心にしみた言葉・2024年9月18日

自殺しないで生きてこられたというのはね、私の姉のおかげなんです。私の姉がね、常に私と母の間に入ってくれたんです。

いつから自殺への衝動が起こったかわからないんですが、私の記憶の中でさかのぼれるかぎり、初めからあったような気がしているんです。

本当におれは自殺するんだぞ。噓ではないんだぞ。それを世の中の人みんなに見せてやるんだと。だけど本当は、自分の心の底ではね、完全にいっぺんこっきりに死にたくはないんですよ。

鶴見俊輔さんの言葉 「対談集 あなたが子どもだったころ」(河合隼雄・著 中公文庫)  から

「対談集 あなたが子どもだったころ」(中公文庫) は、臨床心理学、ユング心理学の第一人者の河合隼雄さんが、各界の著名人16人との対談をまとめた本です。河合隼雄さんを含め多くの人がすでに亡くなっていますが、対談の内容は驚くほど赤裸々で生き生きとしています。
冒頭の言葉は、高名な哲学者で大衆文化にも通じ政治運動家としても活躍した鶴見俊輔さんが語ったものです。この河合隼雄さんと鶴見俊輔との対談については、この本のあとがきで、作家の小川洋子さんが見事な解説をしています。引用します。

鶴見さんはお母さんと、並大抵ではない確執があった。子どもを自分の理想にはめ込もうと猛烈な勢いで怒る。イワン雷帝のような母に対し、息子に残された抵抗の方法はもはや自殺でしかなかった。世間に向け母に復讐するために、薬を飲む。母を殴れない代わりに、自分を殺そうとする。結局、お父さんに決断により、十五歳でアメリカに渡り、鶴見さんの人生は新たな方向へ進んでゆくことになる。
生きるか死ぬか、のところまで追い詰められながら、自分の体験を語った先に鶴見さんが行き着いたのは、ユーモアだった。自分は生き残ったからこそ、あの母親の異常なユーモアを感じられるのだ、と。
鶴見さんは自分だけの物語を作ることで生き延びた。死とユーモアという矛盾を、物語によって見事に共存させたのだ。
鶴見さんだけではない。本書で子ども時代の話を語った人々は全員、自分の物語を胸に抱えて対談場所を後にしただろう。それは必ず、どんな矛盾も理不尽も寄せ付けない、独自の真理によって、その人を温かく守るものとなるに違いない。

鶴見俊輔さんのお母さんは、外務大臣、東京市長などを務め関東大震災後の首都復興に尽力した後藤新平翁の娘です。鶴見俊輔さんのお姉さんは、上智大学名誉教授(比較社会学、国際関係論)でエッセイストととしても知られる鶴見和子さんです。

河合隼雄さんの聞き出す力によって、著名人たちは改めて「自分の物語」を見い出していきます。河合隼雄さんは「自分の物語」の大切さを言い続けましたが、その意味を見事に示した対談集です。

この対談集からは、これからも随時「心にしみた言葉」を紹介していきます。



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