見出し画像

きょう心にしみた言葉・2023年5月22日

自己責任の論理は、若者たち自身によって進んで内面化され、それが内側から彼らを苦しめる。自己責任も果たせずに社会に迷惑をかける「醜い」存在として、彼らの加害者意識はいっそう強化されてしまう。
かくして彼らは、自分の存在意義を見失い、「なんのために生きるのか」「自分の生に意味があるのか」が見えなくなってしまう。

「ひきこもりから見た未来」(斎藤環・著 毎日新聞社)

精神病理学者として鋭い社会分析で知られる斎藤環さんは、現代の若者の生きづらさを様々な視点から解き明かしていきます。そのひとつが、「『弱者であること』が必ずしも被害者意識につながらないことだ。むしろ彼らの多くは、はっきりした自覚もなしに『加害者意識』のほうに傾いていく」ことです。就職難、貧困、社会からの疎外など、社会の被害者であるにもかかわらず、なぜ加害者意識を持つのでしょうか。斎藤さんは、「苦痛の元凶はネオリベラリズムという名のシステムとして漠然とイメージ」されていると指摘し、このシステムが「自己責任」を強要してくると言います。この「自己責任」論こそが、若者を追い込んでいるとみるのです。斎藤さんは、若者たちに「ポジティブな被害者意識」を持つよう呼びかけます。君たちは、間違っても「加害者」ではないと。
ひきこもりについては、こんな論述があります。「かつて日本の『家族』は、社会に適応できない若者を受け入れ、支え続ける巨大な器だった。欧米の記者から、なぜ日本には『ひきこもり』がこれほど多いのか、と質問を受けるたびに、私はこう答えてきた。その質問は正確ではない。正しくは『なぜ欧米の若者がホームレスになり、日本ではひきこもりになるのか?』が、問われるべきだ、と。若者の社会不適応は先進諸国共通の問題であり、そこに形態の違いしかない」。若者の社会不適応は先進諸国共通の問題なのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?