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だれからも理解されないと思う、そんなときは。

ぼくは、どうしてか他の人たちとは違う価値観や思考、態度があり、ときどきだれからも理解されることなどないのだろう、と思うときがある。

だれからも理解されない。

そんな想いはぼくだけではなく、もしかしたら他の皆にもあって、まったく特別なことではないのかもしれない。でも、そのように想うこの心は唯一無二で、確実に今ここにあって、とはいえ、心の中を覗いてみて確認することはできないし、想いそのものが曖昧で捉えどころがなくて、唯一無二などと想うことそのものがナンセンスなのかもしれない。

だれからも理解されない。

そんなとき、あなたならどうするだろうか。その寂しさを埋めるかのように予定を詰めるだろうか。そのままじっと膝を抱えながら我慢するだろうか。ぼくがそうしているように、noteにそれを表現するだろうか。

だれからも理解されないとき、ぼくたちは自分の存在意義を疑いたくなってしまう。それが、1人では生きていくことはできないということの明らかな証左なのだろう。

でも、そんなだれからも理解されない自分を、自分自身が理解してあげたら寂しさは和らぐのだろうか。存在意義を見出すことはできるのだろうか。

ぼくたちはかつてないほどに価値観の多様性のなかで生きている。多様性はひとりひとりの個性を認めることだから、その個性が自立していなければ、それは寂しさに変わってしまう。

ぼくが、絶えずぼく自身の理解者でいること。

理解者として寄り添うことが個性の自立を促すこと。

そんなことを考えながら、そっとぼくのそばにいる寂しさとともに、またやってくる明日に備えたいと思う。

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勝又康仁 人事と組織開発 HR&OD
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