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【2-4】日々、経験する言葉が自分を形成する

【2】今朝方の夢

昨晩は寝つきが良くなく4時に一度目を覚ました。あまりよくない夢を見たからだ。ぼくが夜道に自転車に乗っていると、後方から怪しげな黒塗りの車が現れて、ひとりが車からぼくめがけて降りてきた。すぐに、襲われると確信した。よく見るとその男は日本刀をもっている。そして、二人目の男も車から降りてきた。最初の男がぼくに声をかける。明瞭に記憶していないが、「〇〇、5万円でどう?」といった交渉のような言葉だ。ぼくは「その話には乗れない」と言った。すると、最初の男が日本刀で切りつけてきた。右手の甲に痛みを感じた瞬間、ぼくは咄嗟に逃げ出した。足はぼくのほうが早く、あっさりと逃げ切った。「ざまあ見ろ」と内心思いながら。ちなみに、その男ふたりは面識がなく。顔も服装も真っ黒で、身体の輪郭しかわからなかった。

ChatGPTによる夢の解釈

心理的な状況や潜在的な不安、自己防衛本能を反映している可能性があります。以下にいくつかの観点から分析を提供します。


1. 恐怖と不安の象徴

  • 夜道黒塗りの車は、不確実性や見えない危険を象徴しています。あなたが現在直面している、または潜在的に予期している脅威やストレス要因を反映しているかもしれません。

  • 日本刀を持った男たちは、その不安や恐れが具体的な形をとって現れたものとして解釈できます。特に、日本刀は直接的な攻撃性や深刻な危機感を象徴します。


2. 交渉と自己主張

  • 男が「5万円でどう?」と話しかけてきたのは、何らかの交渉や取引を象徴している可能性があります。現実の中で、あなたが強い立場を求められる交渉や決断を迫られている状況にいるのかもしれません。

  • あなたが「その話には乗れない」と答えたことは、自己主張や自分の価値観を守る意識を表していると解釈できます。しかし、その結果として攻撃されるという展開は、自己主張が対立やリスクを伴うことへの恐れを示唆しているかもしれません。


3. 攻撃と逃避

  • 右手の甲に痛みを感じた場面は、夢が現実の感覚を取り込んでいることを示している可能性があります。この傷は、精神的な攻撃や損失感を象徴しているかもしれません。

  • その後、素早く逃げ出して「ざまあ見ろ」と思った点は、あなたが危機を乗り越える能力や、自分を守る力に自信を持っていることを表している可能性があります。これは、自己防衛本能や危機管理能力が高いことを示唆しています。


4. 顔のない敵の存在

  • 黒い服装で輪郭しかわからない男たちは、現実での具体的な問題というよりも、漠然とした不安や圧力を象徴しているかもしれません。この「顔のない敵」は、職場や社会で感じる見えないプレッシャー、または自己の内面にある葛藤を意味している可能性があります。


5. コントロールと解決への意志

  • この夢では、危険な状況にもかかわらず、最終的にあなたは自分で対処し、危機を回避しました。これは、潜在意識が「自分には乗り越える力がある」と伝えているようにも感じられます。夢の中での行動が非常に能動的であった点から、現実においてもあなたがストレスや課題を克服できる力を持っていることが示唆されます。

2025/01/06 9:17 茅ヶ崎 自宅書斎にて

【3】ボディ・モジュールとプッシュアップの実践

さっそく、ケン・ウィルバーの『インテグラル・ライフ・プラクティス』にある、1分間の3ボディ・ワークアウトとプッシュ・アップを限界まで実践してみた。

前者は、1分間といえどガイダンスがないと、実践できない。本を見ながら中断しつつおこなった。今後はガイダンスを音声として録音して実践してみようと思う。後者は、久々に筋肉をいじめたこともあって、かなりの苦痛を覚えた。この記事を書いている今も、胸や肩の筋肉に乳酸がじわじわと溜まっている感覚がする。いずれにせよ、新年早々の実践は開始できた。それだけでよしとしよう。

2025/01/06 09:36 茅ヶ崎 自宅書斎にて

【4】日々、経験する言葉が自分を形成する

今日は新年会をはしごしてきた。人付き合いの悪いぼくとしては奇跡的なことである。会社のメンバーと旧知の元上司と会ってきた。外は寒く、冷たい雨が降っている。久々の天からのめぐみである。こういう些事にも感謝できるような心の余裕を持っていたい。その在り方がきっと対人支援にも役立つはずである。

ところで、今朝方の夢分析のつづきである。最近は、何か外部からの攻撃に遭遇するという夢が多く、なぜか理由はわかってない。自意識的には、そんなに差し迫った脅威はないし、仕事もプライベートも良くも悪くも安定している。そういう意味で、この外的脅威は自分自身が生み出しているものではないかと思っていたりする。

このままで自分はよいのか、停滞しているのではないか、自分の可能性はこんなものなのか、そうした煩悩が自分に差し迫っているのではないか。
一方で、最近、「すでに、今ここに、すべては在る」といったようなことをよく考える。仏教関連の本、ケン・ウィルバーの『無境界』を読むことが多くなったことに起因する。ここ数年、ぼくは多聞を怠っていたと思う。真理の言葉に接する機会が激減していたのだと思う。そういう意味で、ぼくの種子は世俗に塗れてしまっていたのだと思う。

日々、経験する言葉が自分を形成している。

2025/01/06 22:39 都内から自宅への帰路にて

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勝又康仁 人事と組織開発 HR&OD
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