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死闘

最近、何をするにも膨大な時間とエネルギーを要するようになった。
朝起き上がるのも、シャワーを浴びるのも、何もかも、自分だけが遅くて、でも世界の速度は変わらない。私がどれだけ焦燥感に苦しんでも時間は無慈悲だ。

ノイズキャンセリングという機能は非常に優秀で、イヤホンを付けている間は時間の流れを誤魔化してくれる。ここ数日はTOKIO SHAMAN vol.10を回顧するため、ライブのセトリを思い出しながらあれこれ聞いている。しかしあの夜と同じ幸せが戻ってくるわけもなく、バスに揺られながら涙してしまうだけだった。

本当は朝から学校に行くつもりだった。その日おろしたての厚底で美術館を歩き回ったことを後悔しながら痛む脚をさすりつつも、翌日学校に行くことについてはそう不安な気持ちはなかった。少なくとも、そう言い聞かせていたはずだ。

1月30日、午前0時。目が覚めて落胆する。帰宅してすぐベッドに倒れたはいいが、眠るのなら朝まで覚めないでほしかった。困った。足を引きずりながら台所に行って水を飲む。

午前2時。眠れない。お腹は空いていないのに異様にお寿司が食べたい。あー!!!!お寿司お寿司お寿司おすし。。。明日は朝から学校に行こう。きっと大丈夫だ。今から少しでも寝て体力を温存しよう。

午前3時。気がついたらこんな時間だ。まだ寝れない。足が痛い。

そうして浅い微睡みを繰り返しながら、朝を迎えるのだった。
結局学校には昼休みから行った。先生と面談する約束があって、それがなんとか後押ししてくれた。
今の自分に学校という場はすごく苦しい。話しかけてくれる友達のおかげでなんとか踏ん張っていられるが、人が多い教室はどうしても耐えられない。どうにかして馴染まなきゃ、上手くやらなきゃと思えば思うほどどうすればいいのかわからなくなってくる。
放課後。ノイズキャンセリングの話に戻る。帰りのバスで一人、涙が止まらなくなった。死にたいとしか思えなかった。自分として生きることが本当に拷問のように苦痛で、それから逃れられるのなら一刻も早く消えたいと思った。


現在時刻は1月31日0時31分。生き延びたのである。

3ヶ月以上前から、ずっとこうして不安と闘う日々を送っている。自己嫌悪に押し潰されてそのまま消えないよう、理性の淵を彷徨いながら生きている。

最近ようやく病院に行くことができた。この先どうなるかはわからない。お医者さんは忙しそうだった。薬だけじゃなく、自分で生きる方法を見つけなければいけないと思う。

私はまだ自力で幸せを感じられるほど健康ではない。好きなことも前ほど楽しめなくなった。

でも、友達の幸せは喜ぶことができる。バイトの面接に受かった友達、行きたい大学に合格した友達、みんなの成功体験は自分ごとのように嬉しく感じる。だからこんな良いことがあったよって、もっと共有してほしい。美味しいコンビニアイスを度々ストーリーに載せる友達も、密かに心の支えだったりする。学校に行く度挨拶してくれたり話してくれたりする友達は、いつも本当にありがとう。
本当は、与えてくれた人には私が返すべきなのだけど、今の私は自分自身でさえ上手く面倒を見ることができない。だからせめて、幸せになるべき人が幸せになっている様子を見ていたい。美味しいご飯でも、思い出でも、インスタに載せるなり私に送りつけるなりしてくれると嬉しいです。シェアしてくれた分だけ安心できる。

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