書いてそのままほったらかしにしていた日記を消化する。 8月16日、阿佐ヶ谷DRIFTで開催されたDJイベントに行ってきた。今まで行ってきた中で一番小さな箱で、お客さんもほとんどが主催者や出演者の知り合いらしく、内輪ノリ満載のイベントではあったものの不思議と疎外感は感じなかった。初めて所謂クラブイベントというものに行ったときはあまりのタバコ臭さに顔を顰めたものだが、何回も行くとすっかり慣れて、むしろ喫煙可の箱の新鮮な雰囲気に楽しさを覚えていた。友人に誘われて行ったイベントだっ
最近、大学生になるのが怖い。もっと言うと、才能がない自分を直視するのが怖い。藝大を目指すと決めたのは他の誰でもなく自分自身だし、その選択自体を後悔しているわけではない。ここで作ることを諦めて普通の大学を受験したとしたら、そっちの方がずっと後悔すると思う。だが、仮に運良く藝大に受かったとして、周りと同レベルもしくはそれ以上のものが自分に作れるだろうか。私は決して器用な方ではない。ロンドン芸大に留学したときも、同い年でありながら私よりもずっと才能のある子達の作品を嫌と言うほど目に
プリクラというものは非常に面白い装置である。今や無加工で自然体な写真がトレンドになりつつあるものの、未だ思い出作りの一環として根強い人気を誇っている。特に最近のプリクラは原型を留めないほど強い加工がかかることで知られていて、それを気持ち悪いと嫌う人も一定数いる。だが私はそこに参加型アートとしての可能性を見出した。プリントシールは人物の像を媒体に撮影→編集→印刷という過程を経て完成するアート作品なのだ。撮影段階で入力される顔や体型などの情報は時代ごとの美の基準に合わせて画一化さ
旅行に行くなら田舎が好きだ。自然の中で過ごしていると、都会のデジタルちっくな時間感覚を忘れられる。先日徳島に行ったときもそうだった。week神山という山奥の川沿いにある宿に宿泊したのだが、これが本当に良かった。リバービューのこじんまりとした客室では、大きな窓が外の景色を絵画のように切り抜いて、時間の経過とともに少しづつ表情の変わる様子が楽しめる。夜になると外は真っ暗になり、月の光だけがぼんやりと水面に写っていた。東京で過ごす日常とは全く違う夜だ。ビル群の光ひとつひとつに人の存
今年の七夕はなんのお願いもせず過ぎ去ってしまった。正確には、七夕の日が充実しすぎていて短冊を書いている暇などなかった。 その日はオルタナティブラップのフェスに行って、帰りに渋谷でラーメンを食べた。私は夜の渋谷が好きだ。煩雑とした街だけど色んな人がいて、遅い時間になっても必ずどこかに居場所があるような気がしてくる。ラーメン屋さんは昔ながらのオープンなお店で、ライブで汗を流したあとに夏の夜のじっとりした空気を感じながら食べるラーメンは不思議な味がした。ライブに同行した友達は中学か
鬱に効く薬を飲み始めてもうすぐ2ヶ月が経とうとしている。状態はかなり改善されたものの、なんだか心に穴が空いたような気持ちだ。薬のおかげで余計な考えや妄想はシャットアウトされるのだが、それと同時に深く物事を考えられなくなってしまったように感じる。考えるのが好きな私にとっては寂しいというか怖い気持ちが強い。でも結局人生余計なことを考えない方が幸せに生きられるのかもしれない。キルケゴールとかろくな人生歩んでいないし。 最近一年前の自分から手紙が届いた。自由丁という名前の素敵なお店
海外に住む友達が日本に遊びに来たので、せっかくだから静かな側の東京に連れて行ってあげたいと思い、羽村の多摩川沿いにある公園に行った。日が沈み始めた時間帯、芝生が光に照らされ輝いて見える様子が楽園と錯覚するほどに綺麗だった。芝生に横たわってみると、視界一面に鼠色の空が広がって、空との距離感を失い、その感覚が急に恐ろしく感じて何度も手を上に伸ばして重力を確認したりした。横たわっているはずなのにまるで空に投げ出されたような不思議な感覚だった。 東京の西側に来ると、改めてこの都市の
私は人のインスタを見るのが好きだ。なぜなら誰かのフィードはその人の美的感覚の結集だからである。みんなインスタに投稿する写真はある程度自信作を絞り込むものだと思う。人のストーリーや投稿を見るたびに裏側を想像してしまう自分がいる。ああこの人はこの瞬間を美しいと思って撮ったんだなとか、自分の美的感覚に合わせてこんな風に編集したんだろうなとか、自然と伝わってくるものだ。手軽に写真という創作活動を共有できる一番身近なプラットフォームだろう。私は人と関わるのがそんなに得意な方ではないのだ
念願のアリ・アスター監督の新作『ボーはおそれている』を観てきた。長尺というのもありどうやらあまりヒットしていないらしいが、私個人的にはかなり好きな映画だった。 正直、観賞中は何度も離席することを考えたほどに不快な気持ちにさせられたのだが、辛抱強くラストシーンまで耐え抜き、劇場を出て初めてこの映画の魅力を実感した。観ている瞬間よりも後から考察したりしてゆっくり消化するのが好きな人にはかなり向いていると思う。 この作品は、私が普段は心の内にしまい込んでいる不安や焦燥感といった
最近新しく気持ちを穏やかにする薬を処方してもらったのだが、これがとても良く効いている。今までは毎朝起きてすぐどうしようもない絶望感に苛まれていたのに、薬を飲み始めてからそれが嘘のようにスッと消え、今のところ毎日学校に行けている。これはすごい進歩だ。 私は「自分でどうにかしなきゃ」という気持ちが行き過ぎてしまうことがよくある。自分が不安に思う気持ちは自分でどうにか辻褄を合わせて対処するしかない、と躍起になって色々考えをめぐらせてみたものの、今考えると逆効果でしかなかったと思う。
『Sonny boy』は数あるアニメ作品の中でもかなりユニークだと思う。 一応分類としては「青春」「SF」「超能力」「異世界」あたりにカテゴライズされるのだが、これらの要素はあくまで舞台設定であり、本題と直接的に関わってくるわけではない。異世界転生した先で可愛い女子学生達に囲まれながら超能力に目覚めて無双する、みたいな展開とは程遠い作品である。 私は、思春期における「輝かしい青春と、成長していくにつれて直面する社会の不条理さに対する葛藤との二面性」を描いた作品だと思っている
最近私のマインドセットに大きな変化があった。「どうやって死ぬか」よりも「どうやって生きるか」について考えるようになったのだ。まあ普通の人からすれば当たり前のことなのかもしれないが、数週間前まで前者で頭がいっぱいだった私にとっては革命的なことだ。 この心象の変化の手助けをしてくれたのはジョジョ5部とキルケゴールの哲学だった。ベッドから起き上がれず、食事も睡眠も碌にとれない時期にふと思い立ってジョジョシリーズを4部から観返していたところ、5部屈指の名言であるアバッキオの同僚の言葉
好きなアーティストシリーズ第2話はSTARKIDSです。 2.25に行われたライブ「year of the 9」についても書きたいと思います。 「日本のポップが戻ってくる」最先端のサウンドハイパーポップやヒップホップに限らずゲーム音楽、ボカロなどを取り入れた全く新しいサウンドを生み出すSTARKIDS。海外の最先端と日本のカルチャーが複合した曲の数々は、聴いていると自然に身体が動き出すような、それでいて居心地の良いような感じがします。前回紹介したOKBOY&Dogwoods
最近、何をするにも膨大な時間とエネルギーを要するようになった。 朝起き上がるのも、シャワーを浴びるのも、何もかも、自分だけが遅くて、でも世界の速度は変わらない。私がどれだけ焦燥感に苦しんでも時間は無慈悲だ。 ノイズキャンセリングという機能は非常に優秀で、イヤホンを付けている間は時間の流れを誤魔化してくれる。ここ数日はTOKIO SHAMAN vol.10を回顧するため、ライブのセトリを思い出しながらあれこれ聞いている。しかしあの夜と同じ幸せが戻ってくるわけもなく、バスに揺ら
好きなアーティストシリーズ第1話。 今回の主役はOKBOY & Dogwoodsのお二人です。 疲れた心にヒッピーを飼いたいモラトリアム真っ只中の今の自分にとって、「生き方」に関する悩みは尽きません。周囲からのプレッシャーや他者との比較による孤独感に苛まれたとき、居場所を作ってくれる存在の一つが音楽です。 OKBOYとDogwoodsの音楽はヒッピーカルチャーに強い影響を受けているのが特徴的で、それは彼らのライフスタイルにも現れています。何にも縛られず、自分たちの好きなよう