弱音を吐くことの効用ーーー子育てでも、支援職でも、営業職でも
弱音を吐き、ため息を吐かかなければ一日だってやっていけない。私はそういうタイプなのだと思うが、「そういうタイプではない」人にも弱音やため息は必要だと思う。私なりに「弱音」を定義するとすれば、「自分の身に起きた、自分にとってネガティブな出来事について、改善や反省も意識しつつ言い訳を述べること」だろうか。
いやー、こうすればよかったというのはそうなんだけどできなくて。
こんな人がいて(うまく対処すればいいんだろうけど)無理!
イレギュラーにこんな出来事が起きて(キャパが大きい人なら対応できるだろうけど)テンぱった。
そんな感じ。「こうすればいいとは今となってはわかるんだけど」という言い訳が見え隠れする。だから、真面目な人はなかなか口にできない。
そこに効用があると思うのは、ネガティブな感情のデトックスにも必要だし、「今こう思っている」「改善点も少しは気づいてる」という現状を再認識することにも役立っているから。すぐには改善できないことでも、口に出しておくと改善のきっかけになることもある。そして、話を聞いてくれる人との会話で気分転換になる。だから、弱音は早めに吐いた方がいい。
職場は、弱音を聞いてくれる人がいたほうがいい。外出先や支援職での面談のあと、すぐに弱音を吐けるから。そんな人がいない場合は、日報にでも弱音を書いたりする。メールで送る日報での弱音は、一方的なボヤキでしかないが…それでもデトックス機能はあると感じる。
小さい子の子育てで辛いのは、弱音を吐いて、「やっちゃいけないとわかってるけど、こうしちゃった」、例えば子供のペースでご飯を食べさせた方がいいんだろうけど、好き嫌いを言ってグダグダしてるからきつめの声で「もう食べなくていい」と言っちゃった、とかを弱音で吐けないこと。親だって、やっちゃいけないことはわかってるんだよね。
そんなことを思ったのは、10年前の職場で、外出先から戻った私の弱音をいつも聞いてくれていた人とランチに行ったから。そこから、プライベートの話なんかもして、気分を切り替えて、また次の仕事に向き合うという日常だった。そして、そういう立ち位置で私を支えてくれている人が、今の職場にもいるなと思って。
ついでに思ったのは、こういう「目的がはっきりしていない(ように見える)会話」は発達障害の人にはやりにくいし、複雑な家庭環境で育った人には「弱音は悪」と植え付けられていたりする。そもそも今、身近にそういう人がおらずに、ネガティブな感情を煮詰めて爆発させてしまうこともある。必然的に、相手に完璧を求めることにもなる。
これまで、「雑談」は大事だなーその対等性が私には合っているなーと思っていた。「弱音」も人間らしい回復の手法なのではないかと気になり始めている。