副作用
その錠剤の入ったアルミの小さいパッケージをランプにかざしたり、テーブルに置いたり、凝視したり、その動作をしばら繰り返していたが、そろそろ腹を括らなければいけない時間になっていた。朝のビデオ会議の時間が迫っていた。
前日の晩に薬局でその薬を購入した時、薬剤師は私の社会保障番号(生年月日)と私の体型を見て訝し気にこう言った。
「この薬は、通常は高齢で肥満傾向のある人が使用するものなんだけどね。しかし処方箋が指定しているのは確かにこの薬だし、まあ試すだけ試して様子をみるようにして下さい」
様子をみる?実験してみろということであろうか?私はどちらかというと痩せ型である。
以前、効能は違うが、似たようなパッケージに入った錠剤を旅行時に服用し、その直後、発作に酷似した症状を起こしてしまったため、新しい薬を使用する時には非常に懐疑的になる。
基本的には、(体内に入れる)薬品に対する私のスタンスは以下のようであった。
薬に関しては頭痛薬のみ。
抗生物質を含む薬に関しては、抗生物質以外の方法では治癒不能な感染症に罹患した時のみに使用。通常の感冒の際でも患者側から抗生物質を切望されることがあり仕方がなく処方することも多々ある、と知り合いの医者が心情を吐露していたが。
ワクチンに関しては毒ダニ性脳炎(Tick borne Encephalitis)予防のためのもののみ。毒ダニは、自然災害の少ないスウェーデンにおける一番の脅威と言われている。確率は高くはないが性質の悪いものに遭遇すると半身不随になる危険もある。
さて、その錠剤を経口すべきか否か。
数分間、凡慮の中で彷徨っていたが、結局、ビデオ会議直前になんとか一錠、飲み込んだ。
その直後は特に異状は起こらなかった。要らぬ心配であった、多くの人が服用している汎用薬なのだから、と安堵した。
異変が起きたのは昼休みの直後であった。
五分程度の簡単な作業をしようとした時である。五分で片付く筈の作業が何分経っても出来なくなり、机に座って居ることも、ベッドに横たわることさえもが苦痛になり、その直後に耐えがたい頭痛に襲われ始め、医療相談センターに電話をした。その一時間後には救急車で病院に運ばれていた。
救急車で運ばれたはよいが、私を乗せた担架は入り口付近の通路に暫く置かれたままであった。毛布が入用か、と入り口で問われた時に一枚貰って置いた。これはあとになり賢い選択だったと感じた。大抵の場合は、性格上「結構です」、と返答してしまう。
出入りする人は救急車の人員、私同様担架に乗せられた救急患者。病院内を慌ただしく歩き廻るのは看護師、准看護師、セキュリティの方々であった。スウェーデン人、移民、老若男女の割合が程よく混ざり合っていた。グラビアモデルのような男女の医療従事者も見られれば、髪を振り乱して疲労困憊を絵に描いたような方もいらした。航空業界において職を失った方々も救急車スタッフ等として働かれていらっしゃったかもしれない。
まもなく「優先順位を決定する医師」という肩書の若い女性が私の担架の横に立った。
「私達が優先順位を決定するパラメーターになるのは、頭痛がどのように始まった、ということなの。激痛は徐々に始まったの?急に始まったの?痛みをランク付けしたらどれ?1から10として。そもそも10だったら気絶しているけど」
「急に始まりました。痛みのランクは8から9です」、と返答すると彼女は立ち去った。
その後、准看護師の方が立ち寄られ、採血のあと、鎮痛剤をいただいた。その若い女性は極度に疲労されていたように感じられた。
ふたたび一人で通路で待つことになったが鎮痛剤は即効性があったのか、痛みは徐々に引いて来た。しかし私は原因を知りたかったためそのまま待って居た。
その後レントゲン室に運ばれた。X線は極力避けている。これは想定外であった。
「すみません、MRI検査は受けたことがあるのですが」、と微かな抵抗をしてみたが無駄であった。MRIはX線を使用しないため人体には影響がないがCTはX線を使用する。
CTのあと、私よりは高齢であろう女性が来て私の乗せた担架を押してくれてた。彼女は途中、ゼイゼイ、と息を切らしていた。その時点では私はかなり快復しており、彼女の代わりに自分で担架を押せるほどであったので申し訳なかった。
「今晩も通常通りここは満員、あなたは整形外科コーナーの空き部屋に運ぶから」
「夜勤、ご苦労様です」
「有難う。明日の朝7時まで一踏ん張りしないとね」
私は、救急病院の奥の空き部屋で待機させられた。
「医師はすぐには来ないけど、何かあったらこのボタンを押したら誰かがくるから」
そう言い残して彼女は部屋を出た。
部屋に運ばれる途中に多くの担架とすれ違った。個別の部屋が不足していたため廊下で待機している患者達であった。その中には、痛みのため叫んでいた高齢者、毛布にくるまったまま唸っていた若い男性も居た。
痛みも減退し、自分の足で歩ける私が立派な個室を頂けたと言う事に罪悪感を感じた。しかし、もしかしたら血液検査かCTが異状を示したため、この個室にて数日間治療が行われるのかもしれない、という不安もあった。
それほど待たされることもなく、男性の医者が慌ただしく入室し、ドアを閉めた。いよいよ宣告の瞬間である。
「検査の結果だけど」
「はい、どうでしたか?」
「特に異状は無かったから、おそらく薬の副作用だろう」
そう言うと医師は自分の携帯電話を取り出した。
「ああ、誤解しないで。携帯電話を取り出したのは携帯メッセージを送ろうとかいうつもりじゃないから。医薬品辞典を確認するだけ」
この時点では、「あら、この医師結構イケメン、ついでに患者の不安を軽減させる術にも長けている」、などと考えられる余裕も出て来ていた。
「思った通りだ。100人に1人に発症し得る副作用であると注記されている。君さえ良ければ他の薬を処方してあげるけど。症状も治まったみたいだし今日は帰っていいよ」
と言い残し医師は次の患者のところに行った。
23時頃になっていた。私は家に帰ることを許可された。しかし緊急病院にいらした医療従事者達はあの喧騒と、疲れ切った身体に鞭を打ちながら、ストレスの中で翌日の7時まで勤務を続けなければならなかった。
私は夜道を歩いて家まで帰った。靴と温かいコートを持って来て正解であった。救急車に乗るための切符は常に片道切符である。しかし無事に家に帰れることは幸運である。
ことの発端はほんの小さい白い錠剤であった。
この錠剤の服用に伴って生じた副作用は実に十人以上の医療従事者を巻き込んだ。通常でさえ高負荷で悩む医療機関の負荷をさらに重くした。
医薬品の説明書には「副作用が出た場合、すぐに病院に行ってください」、などと記載されてはいるが、薬品を投与する前にその医薬品がその患者に合うものかどうかを検査することが可能であったのであれば、医療機関はこのような患者を迎え入れる必要もなかったであろう。
私は、初めて処方された医薬品を使用する時に心掛けていることがある。
合わない可能性もあるため、選択肢があれば、なるべく小瓶のものを購入する。今回は100錠購入したが残りの99錠は、人に譲るわけにもいかないため破棄しなければならない。
また、最初の数錠を使用する時は、副作用が起きた時にすぐに病院へ駈け込めるように、なるべく病院に空きが多い平日に、自国/自宅の近くで使用し始める。使用をしたことのない医薬品は飛行機、船、電車の中では服用しない。
複数の医薬品を使用する場合、医薬品間の相互作用を調査しておく。医薬品データの一元化が進んでいるスウェーデンにおいては、Janusmedというホームページがあり、自分の使用する医薬品名を複数記入すると、相互作用、および妊娠、授乳への影響等が検索できる。日本にも同等のものがないかと探しているが今のところは見つからない。
ご訪問有難うございました。
暗いトーンの記事になってしまい申し訳ございませんが、健康に関する事なので共有させて頂いた方が良いと考えました。
アクセサリーに使用させて頂いた写真は私の住む島の街角です。以前は小さなコミュニティがあったところですが、現在は通常の分譲マンションです。