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太陽がいっぱいの南仏 セザンヌとママンとワイナリーと

「スウェーデンって物価が高いんでしょう?」、などと信じられていた古き良き時代は去った。いま私達は(もと共産圏以外の)欧州の中でも超ド貧となってしまった。アイスランドとデンマークは潤っているようである。

 スウェーデンクローナ通貨の価値が冗談のように下がってしまったのは、ユーロを導入しなかったことにも起因するようである。しかしユーロを導入出来なかった正当な理由もあったと聞く。

 政治はさておいて、今なら「スウェーデン良いとこ、一度はおいで」と胸を張って言える。物価は、決して安くはないが、西欧諸国と比較した場合、かなりマシである。治安は比較的良く、英語は通じる。また、インフラもそこそこ整っている、電車は、時間通りに来る時もあり、モスクワほどではないとしても、地下鉄も美術館のようになっている。極めつけはなんと言っても涼しいことである(現在13度)。ベジタリアン及びビーガンにも優しい国である、と、さりげなくこの国の宣伝をしてみる。

 と長々序章を綴らせてしまったが、こちらでは、お約束をさせて頂いた南仏旅行の最終日をご紹介させて頂こう。

 今年こそスペインを訪れようと考えていたが、それも難しくなってしまった。弱小クローナを携帯しながら旅しても懐が寂しい。というわけで、イースターに出掛けた南仏旅行は、私にとってはおそらく今年最後の南欧旅行となり、この記事がその最終日に関する記事となる。

 こちらはすでに秋の兆しを感じる八月であるが、皆様と一緒に今年最後の旅行の余韻を共有させて頂けたら幸いである。

 

ワイン販売所の入り口


 娘が、Aix-en-Provence市の郊外に、ワイナリーとアートセンターが一体となったところがあるはずだと言う。運転中はワインも飲めず、娘はアルコール類も一切に口にしないが、取り敢えず訪問をしてみることにした。

 スウェーデンには「南欧ワインの会」のようなグループがあり、夏になるとシニア族が電気自転車などを借りて、ワイナリーのはしごをしたりしている。千鳥運転で車道を走る自転車シニア族というものも危ういものである。彼らの平均年齢は、75-80歳ぐらいであったと記憶している。しかし、定年退職後にこのような粋な旅が出来るということは羨ましくも感じられる。

 さらに、私の上司は、南欧へは車で出掛け、数件のワイナリーからワインボトルを合計100本ぐらい積んで帰るということである。100本も購入出来るのならば、ワイナリーから直接購入する場合、手頃な価格で入手出来るのだと思い込んでいたが、この場所に関してはその限りではなかった。アートセンターも併設されているため、格が一段上なのかもしれない。


販売所前の屋外レストラン。養老の泉から流れて来るのが本物のワインであるかは不明

 

プロヴァンス地方で初めて訪ねるワイナリー、想像していた家庭的なものよりはモダンであった


ワイン以外にもいろいろと販売されていた


アートセンターらしく直線的に調和がとれ、無駄のないデザインのレストラン



 アートセンターに近寄る不穏な影、と思いきや、この大蜘蛛には「ママン(お母さん)」という名前が付いているという。東京の六本木ヒルズに君臨するママンの姉妹であると理解している。

 このママンは彫刻家ルイーズ・ブルジョア女史のインスタレーションである。六本木ヒルズのママンに関しては、蜘蛛の巣のようにネットワークを拡げることを祈って造られた、ということである。

 


 ホームページを見てあとになって発見したことだが、この土地にはまだまだ多くのアートのインスタレーションが屋外にて展示されていたようである。敷地内には、ワインの試飲が出来るような建物もあったようである。


日本人建築家 安藤忠雄氏


 アートセンターの売店に日本人建築家、安藤忠雄氏に関する書籍が置かれていた。実はこのアートセンターは安藤氏の設計であったのだ。同氏は文化功労者として国内外にて多くの建築を手掛けられている。

 この場所はシャトー・ラ・コスト(Château-La-Coste)と呼ばれる。

 日本の建築家が海外で活躍されている様子を目の当たりにすると、非常に誇らしく感じられる。建築には明るくないが、日本の免震耐震建築技術は世界的にも誇れるものであろう。例えば、1995年に米国で起きたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件、破壊されたこのビルが日本の耐震建築技術に準じていたならば、これほどの惨事には至らなかったであろうと憶測されている。

 
 アートセンターの中も拝観させて頂きたかったが、この日は12時開館であったため断念した。この日の晩は、ニースにてレンタル・カーを返却しなければならなかったため、シャトー・ラ・コストは午前中のみの訪問と決めていた。

 
 アートとワインに囲まれるこの不思議な空間をあとにして、私達はAix-en-Provenceの街へ向かった。プロヴァンス地方では、中規模の地方都市であるらしいが、この町を落ち着いて見学したことはなかった。この町に住んでいる日本人も少なくないようである。

 私は、メイン・ストリートの写真は通常あまり撮らない。どこの国に行ってもさほど雰囲気が異ならないように感じるからである。しかし、一般人の生活の匂いがする場所は何枚の写真に収めても飽きない。

 西部劇のような窓の奥には、果たしてどのような人が住んでいるのか、部屋はどのようなインテリアで飾られているのか。

  

 
 先を急いでいたため、この町にて昼食を取ることにする。20件ぐらい廻っても何かと理由をつけてなかなか決めない私に愛想を尽かしてか、娘はこの日昼食を取るカフェをすでに決めていた。

 ミラボー広場に位置するLe Pain Quotidienというカフェのテラス席に座った。私達は皆嫌煙家なので、喫煙しているグループの近くは避けるようにしているが、北欧以外の国ではこれが結構難しい。

落ち着いた古風な佇まいに好感が持てた


山羊チーズのトースト、日本円に換算すると2700円程度であろうか


サーモンサラダ、価格は上より多少高い程度

 
 
 残念ながら、このカフェにも野菜だけのサラダはメニューになく、ベジタリアンの娘は、仕方なくサーモンサラダを注文した。しかし、やはりサーモンを口にすることは出来ず涙を浮かべていたので、私の山羊チーズとサーモンを交換した。

 食に関するポリシー、あるいはアレルギーは想像以上に難しく悲しく深刻な問題なのである。

 私のまわりの日本人には、何故かベジタリアンもヴィーガンもいない。また、日本には野菜中心の料理も多いので、日本の食生活は比較的無難であると思いきや、大豆アレルギー持ちの外国人旅行者などにとっては、なかなかつらい国でもある。醤油が使われていない日本料理を見つけるのは難しい。

 最近では、空港のラウンジ等でも肉を含まない食事が提供されているところが多い。大粒の唐揚げなどが提供される羽田空港のラウンジなどは、ミータリアンの私にとっては有難いが、希少なのかもしれない。

 


 ここではチョコレート・ピザというものに始めてお目に掛ったが、日本には既に存在していると伺った。私一人なら、通りでピザを買って歩きながら食べるということも厭わないのであるが、デザート感覚のピザというものには多少抵抗を覚えてしまう。


裏通りからメインストリートに抜ける不思議な通路。この背後はカフェ。このような通路は夜間は避けた方が良いのであろうか


洗練され過ぎているスウェーデンから南下をすると、このようなインフラに非常に惹かれる


西部劇の雨戸にフレンチバルコニーに生活感たっぷりさ。多くの日本の校舎並みの灰色壁。中心街からセザンヌの屋敷に向かう途中に見掛けた建物。写真をどう修正しても傾いて見える。正面左の建物が傾いているのかもしれない


ポール・セザンヌ通り、かなりの急坂の中腹


セザンヌ氏の屋敷


セザンヌ氏の屋敷の玄関


 アートセンター同様、こちらも拝観の機会を逃した。行き当たりばったり旅行の弊害である。予約制であったため、15時まで拝観が出来なかったのだ。私達は15時までこの町に居る時間的余裕は無かった。

 その代わりに、セザンヌ氏の屋敷の庭を見学させて頂くことにした(無料)。ところどころに何かの抽象画が飾られていた。この屋敷に限らず、この町の至るところにセザンヌ氏に因んだものが残されていた。




 
 再び町へ戻る。
 この奥行きのある坂道は、なかなか風情があった。出来れば夜景も撮りたいところである。

  
 そして、壁一面のマルセイユ石鹸。
 何故、プロヴァンス地方では石鹸が有名であるのか。石鹸の原料となるオリーブオイルの生産量が豊富であることがその一因であるそうである。

 ネットで検索すれば情報は多く見つかるが、マルセイユ石鹼は18世紀頃から既に製造が始まっており、王族も関係していたそうである。


 
 この店にて、小さい石鹸の詰め合わせを購入し、今回の旅の、そして今年最後の南欧の最後の記念品とした。

 その後、多くの余韻を残しながら、ニースへ向かった。ニースからストックホルムへ飛ぶためである。旅は始まる前にいろいろと予定をしている段階が一番楽しいのかもしれない。旅は一旦始まってしまったら、文字通り「あっ」と終わってしまう。行きと同じ海岸線のドライブではあったが、最初の頃のウキウキ気分はもはやなかった。旅の終わりはいつも寂しい。

 娘は仕事の関係で一足先に帰路に付いていた。四日間ドップリと一緒に過ごしていたため、彼女の座っていた席の空虚感も半端ではなかった。


目前の車はベンツであったが、テスラ、ポルシェ、トヨタ、ルノー、とピンキリであった

 
 ニースの空港の近くで夕食を取れるところを事前にネット検索していたが、なかなか妥当なものが見つからなかった。

 しかも、運転をするのも至難の業であった。宿泊予定のホテルは左手に見えているのに、どのように入って行くべきかが非常にわかりにくい。やむなくラテン風に強引に割り込んでホテル専用道路に入るしかなかった。

 予約していたホテルに向かう途中、途中のホテルの入り口でビュッフェ・メニューを見掛けた。

 もしやこのレストランは、当たりでは、という予感がした。夕食はここにて取ることに決めて予約をしてみたが、まったく期待通りのレストランであった。ニースを拠点にして南欧を訪れる方は多いと思われるため、このレストランもご紹介させて頂こう。

Companile Hotelのビュッフェレストラン

ビュッフェレストランはCompanileホテルのレセプションの背後にある。



 このレストランにては三種類の価格帯が用意されていた。サラダビュッフェのみ、サラダとデザートビュッフェのコンボ、そしてフルコースはこれに焼きたてステーキと魚、ソーセージ等が加わる。一番高いフルコースは日本円に換算すると4500円ぐらいであろう。

 色とりどりのベジタリアン用のおかずも多く陳列していた。見ているだけでも楽しかったが、同時に深い遺憾を覚えた。ここならベジタリアンの娘の笑顔も拝めたはずであった。

 こちらで圧巻であったのは、デザートの種類であった。フランス風お菓子のオンパレードであった。甘いものが好きな方々には、是非お勧めをさせて頂きたいレストランである。デザートのみではなく、目の前で切り分けてくれるステーキさんも美味であった。






 
 
 出発の日は、早朝4時ぐらいに15分ほど掛けて空港まで歩いて行った。暗く、ベンチで寝ている人なども見掛けたが、ホテルが密集している地区なので、他にも空港へ向かう旅行者の姿が見られた。

 前回ニースを訪れた時は、パリにて大型テロ攻撃が発生した直後であり、この空港もセキュリティが非常に厳しくなっていたため、悠長に免税店を見学している時間はなかった。

 この空港の免税店はなかなか充実していたが、日本のウィスキーコーナーにもかなりの種類のウィスキーが置かれていた。ウィスキーは飲まないが、美しい書体で描かれたウィスキーの箱たちに囲まれて、しばしの郷愁感に浸れた。



 アロン・ドロン氏のような方にはお会い出来なかったが、かくして、五泊六日の、太陽がいっぱいの南仏の旅はピリオドを打った。

 

おそらく今年最後の南欧旅行の最終日であったので自ずと記事が長くなってしまいました。最後までお付き合いを頂き有難う御座いました。

情報に間違いがありましたらお気軽にご指摘頂けたら幸いです。また、写真が多くなってしまったので、開ページに時間が掛かってしまいご迷惑をお掛けしております。

皆様におかれましては、酷暑と台風の中、お気を付けられて下さいね。


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