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他人の名前で生きる人々

 その晩、旧市街の地下鉄のプラットフォームに立っていた乗客は多くはなかった。携帯電話の時計は23時半を示していた。友人達との食事会の帰り道であったが、彼女たちは数分前に反対方向の電車に乗って帰って行った。

 電光掲示板に依ると、私の乗る地下鉄は2分後に到着するということであった。

 ふと、肩を軽く叩かれた気がした。

 友人が戻って来たのかもしれない、と思い、後ろを振り返ってみた。

 私のすぐ背後には一人の青年、いや少年が立って居た。肩を叩いたのは彼であろうか?まわりには他に誰もいなかった。

 少年は私と目が合うと「日本人か?」、と英語で訊ねて来た。発音から判断したらスウェーデン人であった。私は「だとしたらどうなのか?」、と英語で返答した。本能的にあまり深い関わりを持ちたくない場合は、スウェーデン語を話せないふりをしている。

 電車がプラットフォームへ入って来た。少年は私の隣に並んで電車に乗り込んだ。

 「僕は日本が好きなんだ」、それが少年の返答であった。


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 日本が好きだというスウェーデン人には、老若男女問わず、時々遭遇する。金髪を五分刈りにした少年は、入り口近くに立った私の前にて、吊革に半ばぶら下がる姿勢で立っていた。多少、居心地が悪かったが、ざっと見まわした限りでは空いている席はなかった。

  「僕は日本が大好きなんだ」、少年は自分の言葉を反芻した。しかし、今度は、「好き」が「大好き」になっていた。

 彼は一体何故話し掛けて来たのであろうか。多少好奇心の湧いた私は少年の年齢を訊ねた。

 21歳だという。

 私は、彼が日本を好きな理由を訊ねた、すると少年、あるいは青年は、おもむろに白いTシャツを脱ぎはじめ、その脱いだシャツを吊革に掛けた。シャツの下から現れたものは白墨のように白い肌であった。その薄い胸板には産毛さえも確認出来なかった。

 電車の中に空き席は無かったが、満員ではなかった。私は座っている人達の好奇の視線をチラホラと感じ始めた。

 私は改めて彼の様相に注意を向けた。泥酔しているのか、ある種の薬草の影響で興奮状態になっているのかと訝ったからである。しかし、彼の口と身体から酒の匂いは漂っていない。その距離からはある種の薬草の独特な匂いも確認出来なかった。目がすわっている、という感じもない。

 青年の顔立ちはそれほど印象的なものではないが、不快感を与えるものも特になかった。


 青年が唐突にシャツを脱ぎだした理由だけは理解出来た。彼は、日本が大好きであることを証明したかったのであろう。


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 彼の胸元には、ヘナ顔料に依る刺青が大きく彫られていた。色合いからしたらそれは数年前に彫られたものであろう。

 刺青のモチーフは、果たして日本の旗であった。しかし、国旗ではなく、大日本帝国の軍旗であった。

 車両から向けられる視線は多少不躾なものに変わってきたが、誰かが直接疑問を投げかけてこない限り、こちらからは何も弁明は出来ない。

 そもそも弁明をする理由も義務も私には無かった。夏季の裸体に対しては、辟易するほど見慣れてもいるため、得した、嬉しい等の感慨もない。

 青年は、私が何らかの感想を述べることを待って居るようであった。

 私からは感想などない。「我が国を贔屓にしてくれて有難う」、「帝国主義に憧れてるの?」、感想を述べれたとしてもそんなところであろうか?

 沈黙を破るために私は彼の名前を訊ねた。

 「トム」

 咄嗟に偽名だと感じた。「トム」も私の名前を訊ねた。

 「さえこ」、とこちらも偽名で応戦した。

 そういえば旭日旗とはこのようなかたちをしていたのだな、と、視線を上方へなぞって行った。男性の人肌に彫られたこの大日本帝国の旭日に、ストックホルムの地下鉄で夜中に遭遇することになるとは、その日の朝には考えも及ばなかった 、と呆然とそれを眺めていた。

 青年の首周りには錫の鎖が二本掛かっていた。


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 それは私にも見覚えがあるものであった。何故なら私も一本同じものを持っているからである。

 スウェーデン王国から戴いたものである。

 私だけではなく社会保障番号を保有している人間は、皆一本持っている筈のものである。その鎖は名刺ほどの大きい錫のカードに通されており、そのカードには氏名と社会保障番号が彫られている。

 このネックレス如きはどのような機会に使用するのであろうか?

 戦地に赴く時である。

 すなわち、ネックレスの持ち主が戦死した場合に身元を判明しやすくするためである。

 「何故、二本掛けているの?」

 私は鎖を指さした。

 青年は、「ああ」と呟き、錫のカードを二枚、名前の彫られている方面を私に見せた。

 「Tom Bredell」   トム・ブレデル

 「David Granander」 ダビッド・グラナンデル

 カードはすなわち二人分あった。ダビッドはおそらく既にこの地上には存在していない。何故なら、生存している人間が自分のカードを他人に譲ることは許されていないからである。

 私は偽名を伝えたことに関して多少羞恥心を覚えたが、訂正するつもりもなかった。

 以前、電車で隣に座った人と意気投合し、親しくなり、本名を告げる機会を掴めなかった揚げ句、会わなくなるまでの二年間を偽名で通す羽目になったこともある。セキュリティオタクぶりにもほどがある。

 トムは、ダビッドのことを語り始めた。彼とは家族ぐるみの幼馴染同志だった、一緒にサッカーで活躍していた、等々。

 地下鉄は中央駅を通過した。多くの乗客が降りたため、空き席もチラホラと出た。

 トムが何故、私のような赤の他人にそのような話をし始めたのかは疑問であった。私は、癒し系だと形容されたことはかつてなく、痴漢に遭遇したこともない。

 しかし、仮に誰かの死が関係しているのなら真摯に話を聞くべきである、との主義は持っているため静聴はしていた。彼の話はとりとめがなく、なかなか核心に到達しなかった。

 私が降りる予定の駅が近付いていた。

 「すなわち、貴方の友人は亡くなったのだと理解していいのよね?」

 トムはようやく話を中断した。そして電車の床に視線を落とすと微かに頷いた。

  スウェーデンが過去に外国に軍隊を送ったのはいつであったであろうか。ボスニア、アフガニスタン、コソボ、ウガンダ?どちらにせよ、彼の友人がが生きていたとしたら21歳ぐらい、10歳―15歳で戦地に送られることはないであろう。

 それならば死因は病気?事故?若者同士の暴力抗争?

 私はトムにどこの駅で降りるのか尋ねた。

 終点の一つ前の駅であるという。

 なるほど。終点には豪奢な一軒家が林立する富裕層のエリアが佇んでいる。それと対称的に、終点の一つ前の駅のまわりは比較的治安が悪い。特に夜間は駅周辺は一人で歩きたくない場所である。

 

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 トムの幼馴染は治安の悪い場所にて、若者同士の暴力によって命を落としたのであろうか。なんとなく図星のような気もしたが、基本的に人の病名、死因等は個人情報に当たるため私の方からは訊ねるわけにはいかない。

 何故鎖を二つ掛けているのか、に関しては訊ねてみた。

 「彼の分まで生きて行くつもりだからだよ。彼の親と弟の面倒を看て、彼の彼女が元気になるまで一緒に居てやってさ、彼の夢だったことを叶えてやるんだよ。それが親友としてせめて出来ることだろう?」

 私は返答しなかった。

 共感は出来なかった、また、感情移入してしまったら話は長くなる。私は次の駅で降りなければならない。もしこのまま会話が続くようであったら、青年が同じ駅で一緒に降りて付いて来てしまう可能性もある。

 私の駅に電車が停まった。私は出発ギリギリまで電車に残り、両開きのドアが閉まる直前にドアの間からすり抜け出た。

 「Good luck, take it easy.」、とだけ言い残して。

 そのまま後ろを振り返らず、出口の方へ進んだ。動き始めた電車から叫び声が聞こえて来た。電車を振り返ると、トムが窓を20センチほど下ろして片手を外に出している。その親指は上は向いている。窓近くの席に座っていた人たちは突然座席の間に割り込んできた半裸の青年を迷惑そうに見上げていた。

 トムが叫んでいた言葉が、かろうじて車輪の音の合間から聞こえて来た。

 「Saeko, You know that Japan is number one, right?」


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 地下鉄駅を出た途端、夜中の涼しい風が新鮮に感じられた。

 夜の地下鉄ではいろいろなドラマが展開される、それは日本でも感じたことだが。あの青年、やはりある種の薬草を吸引していたのかもしれない。青年は、帰り道に誰かに絡まれることはないであろうか、風邪を引かないであろうか。

 数分間でも言葉を交わすことにより何かしらの情が湧いてしまうのが、人の世の不思議なところである。

 私にとっては、自分一人の人生を営むのでさえフルタイムであり、かろうじて日々を生き延びているというのに、あの青年はどのように二人分の人生を歩んで行くつもりなのであろうか。

 若気の至りの正義感なのであろうか。

 ある日、二人分の人生の重みに耐えられなくなったとき、果たしてもう一つのネックレスは外すのであろうか。

 しかし、他のアイデンティティを生きるという事はそれほど珍しいことではないのかもしれない。敏腕スパイでなくとも、現代人の多くは本名以外のアイデンティティの一つか二つは常用している。ブログのハンドルネームがその良い例である。

 そんなことを漠然と考えながらマンションの前に立った。

 マンションのドアには、私の本名を彫った真鍮の表札が打ちつけてある。

 鍵穴に鍵を差し込んだ時、ふと、ある少女のことを思い出した。

 彼女は両親の願いのもとに「太陽のように明るい女の子」、という意味の名前の命名を受けた。しかしある日、彼女は事後承諾にてその名を改名して来た。「太陽のように明るい」、という形容は彼女には荷が重すぎたのであろう。少女は重度の鬱病と共生していた。

 

 地下鉄で会った青年は、果たして本当にトムであったのであろうか、

 もしかしたら、トムというアイデンディを背負って生きているダビッドではなかったのか。


今回も長くなってしまいましたがご訪問有難うございました。

今回は生け花の大家、澄洋様の美しい作品の数々にて、私のモノトーンの記事を色彩豊かな伝統芸術の力で明るくして頂けるようにお願い致しました。

この方の芸術に関しては一見は百聞に如かずです。写真が各説明文へのリンクとなっております。






本文中の写真は夜のストックホルムの地下鉄駅と、軍役用のネックレスでした。サムネイルの少女は本文中の人物とは直接関係ありません。