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グッゲンハイム美術館に救われた町と異なる価値観

 Noteを開くと何故か、「帰って来たんだなあ」という心情に懐かれる。

 残念だがNoteを離れてしまった友人も多い。Noteを続ける理由も離れる理由も人それぞれであるが、私の場合は、止めたようで止めてない人、幽霊部員という分類になるのかもしれない。

 私なりには、身の振り方が明瞭になる八月末まで「Note絶ち」をする、という感覚から筆を取っていないわけなのであるが。しかし今週はNoteを覗く時間が多少出来たので、知り合いのところを数件廻っているうちに、一言皆様にご挨拶をさせて頂きたい衝動に駆られてしまった。

 さて、何を書くべきか。
 そういうつもりはなかったのであるが、「北欧さんは旅行記を綴る人」、と思って下さってる方々もいらっしゃる。それなら、旅行記を通して、私なりの価値観に関して多少語らせて頂こう。

 7月初頭に一週間だけ夏期休暇を頂いた。私にとって休暇イコール現実逃避であるため、出来る限り環境を変えるべく旅行に出掛けている。

 夏の南欧は辛いので通常は避けている。南ドイツでさえ辛い。長年、寒冷地帯に生息していると、発汗作用が退化するため、酷暑下ではマジで死ぬ可能性もあると、知り合いの医師に警告されている。

 というわけで今回は、南欧は南欧のスペインではあるが、地中海側ではなく、大西洋側のビルバオを訪ねることとした。さほど航空便が飛んでいる土地でもないため、航空券もホテル代も馬鹿高い。

「なんでビルバオに一週間も?その隣のサン・セバスチャンを訪れるべきでしょう。絶対に後悔するわよ」
「なんでビルバオに?殺伐とした工業都市だよ。サン・セバスチャンの方が絶対にお薦めだよ」
「私、サン・セバスチャン大好き、写真沢山撮った」

 などと、訊ねた人すべてに隣町のサン・セバスチャンを強く勧められた。それほどコケ(虚仮)にされたらビルバオが却って気の毒になる。

 ビルバオという町は、それほどつまらないのであろうか。

山頂のプライベート遊園地から見下ろしたサン・セバスチャン
サン・セバスチャン、長く緩やかな海岸線、ビルバオと比較をするためにバスツアーで訪れてみた

 
 飛行機が灰色の雲を抜けると、小雨に覆われた小型のビルバオの空港ビルが視界に入る。視界にスッポリと入ってしまうほどの小さい空港ビルである。灰色の空と小雨も演出して、もの寂しい雰囲気であった。海岸も海も見えなかった。第一印象は、山間の村、であった。

ビルバオの夕陽、スペインがUEFA欧州選手権で優勝した日


 一瞬、後悔の念が浮かんだ。知人達の警告した通り、一週間もここでやることはあるだろうか、と。

 大昔、太平洋の小島を訪れた時、この規模の小型空港に到着した。
 しかしビルバオは仮にもスペインの中堅都市のはずである。

 正直言ってビルバオがどのようなところか、この町で何が出来るに関してはまったく無知であった。基本的にはグッゲンハイム美術館とサッカー博物館を訪れたいというご隠居達に、さほどの期待も抱かずに付いて来たというだけである。


グッゲンハイム美術館を守る高さ12,4メートル、重さ25トンのパピー、本物の花で飾られている


六本木ヒルズでもお馴染みの巨大蜘蛛、ルイーズ・ブルジョア作のママン


この時期グッゲンハイム美術館では、日本人アーティスト奈良美智氏のアートが特別に展示されていた。町中には同氏のアートが翻っていた。アート音痴の私であるが、奈良美智氏の展示室(何室にも亘る)ではアートを通して世界平和が唱われており、同時に社会の不条理が嘆かれていた(と私は解釈する)

 さらに、グッゲンハイム美術館では、草間彌生女史の光のアートのインスタレーション、アンディウォーホル氏のモダンアートを身近に鑑賞することも出来た。それほど数は多くなかったが体験型アートも展示されていた。

体験型アートの一室、迷路のように見える


この間を通っている時は考えが及ばなかったが、金属性のこの壁はどのように固定されているのだろうか。倒れて来て欲しくない


街の景観は、サン・セバスチャンとは相反して、やはり山間の瀟洒な町という雰囲気なのだ


行きはぜいぜい汗だく



帰りは怖くない


 冒頭の知人の一人は、ビルバオは「殺伐とした工業都市」であると述べていたが、少なくとも街中に関しては、どこからもその雰囲気は感じられない。それどころか、旧市街に関しては、あたかもお伽の国か、という建築様式であった。


欧州を何か国か廻ったが、これほど色とりどりで美しい建築様式にお目にかかったことはない。一般人の家であろう、旧市街中心


この街並みは高級住宅街には限らず、外国食品店の多い裏通りでさえ、ほぼ同様の美観であった。


世界遺産のビスカヤ橋近辺の建築様式。ネットでは近代建築のほうがフォーカスされているが、私にとっては一般市民の住宅建築のほうが興味深い

 

その美の中にも愛嬌のあるスペイン。最初は、向かいの家まで竿か紐を延ばしているのかと思っていたが、拡大して見たらそうではなかった。自分が落ちずに洗濯物を干す技。どなたかこの原理を御存じであろうか

 

おはよう、パピーとグッゲンハイム美術館


 とは言っても、衰退しかけていたバスク地方の中心都市を救ったのはやはりグッゲンハイム美術館をはじめとする文化都市としての大改革なのだそうだ。都市計画の成功した模範ともされている。

 スペインは地中海側とマドリードしか知らなかったが、大きい国だけあり、大西洋側のこの街は、地中海側とはまったく異なった様相を見せる。大昔、学校で地理歴史の勉強をして来たつもりだが、事実は活字よりも重い。

 以前アイルランドを訪れた時、現地の人の英語があまり英語らしくない、と感じたが、彼らの(本来の)母国語は実は英語ではなくゲール語であったのだ。それと同様に、バスク民族の(本来の)母国語もスペイン語ではなくバスク語とカスティーリャ語である。最初は、間違えてギリシャに来てしまったかと危惧したほどである。バスク語で表記される店名等はそれほどスペイン語からはかけ離れている。バスク地方で有名なピンチョの綴りはpintxo、どう読んでもわたしにはピントクソとしか読めない。


ピンチョス


 ピンチョスは滞在中、おそら30個ぐらいはトライしたと思うので、後日、写真を掲載させて頂こう。基本的にはバゲットの上にいろいろと載せるだけなので、それらしいものを作ることは可能であると思う。ご自宅のおかずの参考にして頂きたい。また、私の人生において、最初かつ、おそらく最後のミシュラン・レストラン経験に関してもちらっと紹介させて頂こう。

 しかし、さすがにアジア人の私は五日目にはパン食に辟易し、「寿司か、ラーメンか餃子が食べたーい」、と主張し始めたが、ヨーロッパ人の隠居達に却下された。本場のピンチョスはバスク地方でしか食べれない、と。


ビルバオ滞在の最後の晩、ホテルの部屋のバルコニーから。このような景観も悪くないと感じた


 冒頭で述べさせて頂いたが、知人達があまりにサン・セバスチャンを推すので、一日ツアーに申し込み、自分の目で確認をして来た。

 二時間滞在のサン・セバスチャンと一週間滞在のビルバオでは公平な比較は出来ないが、ツアーガイドさんに質問を投げ掛けてみた。

「サン・セバスチャンを推す人が圧倒的に多いのですが、わたしはビルバオも悪くないと思うのです。貴方はどう思いますか?」

 多少脚を引きずる小柄な彼は答えた。

「そりゃああんた、父ちゃんと母ちゃんとどっちが好きか、って訊いているようなもんだよ。答えようがないね」

 なるほど、話すことを職とするガイドさんは、上手いことを言うものだ、と私は考えた。彼はバスク語を含む七国語を駆使するという。

 ビルバオは山間の街、サン・セバスチャンは海岸線の長い海辺の街。山の好きな人もいれば、海の好きな人もいる、同じ土俵で比較できるものではないだろう。サン・セバスチャンを勧めてくれた知人達は好意からの発言だったのであろうが、複雑な心情である。

 人は、気が付かないうちに、悪意なしに、自分の価値観を他人に、植え付けようとしていることが往々にある。自身の価値観を保持することは大切であろうが、私は、人様に自分の価値観を押し付けるようなことは出来ればしたくない。みなが他人の価値観を尊重していたら、地球はもう少し平和だったかもしれない。

 ということで、皆様への久しぶりの挨拶でした。
 酷暑、暴雨暴風、日本からのニュースは相変わらずですが、それでも定期的に記事を発表されていらっしゃるNote友のアイコンを見掛けると安堵を致します。日本にもいずれは秋が訪れますのでなんとか乗り切られて下さいね。

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