会いたいけどもう会えない
わたしにはずっと会いたいけど
もう会えない人がいます。
わたしの大叔母は戦後そんなに経たないうちに多分30代で単身フランスのパリに移住し、それから80歳をすぎる頃まで独身のままパリで暮らしていた。
パリにある大叔母の家を初めて訪れたのはわたしが中学生の頃。なんかもう、衝撃。
ひとりで、もちろんフランス語で働いてアパートを購入してネコとふたりで素敵な暮らしをしている親戚がいるなんて、なんて稀で幸せなんだ、といまのわたしなら言葉にできるけど、そのときはどうしてかわからないけどこの人はすごいんだなぁかっこいいなぁとぼんやり思っていた。
大叔母とその後関係を深めていった話はまた追々書きたいのですが、いまでもずっと、わたしは彼女に会いたい。でも会えない。もうこの世にいないから。
生命は産まれた瞬間から死に向かって生きている。そのことがわたしにはまだよく理解できていないのだけど、理解するものでもないのかもしれないけど、まぁとにかく死は必ず訪れる。
なんでそんな当たり前のことで、毎日どこかでたくさん起きている死という出来事について、人は何度も悲しむのでしょうか。
あれあれ、話が脱線してきました。
生きることや死ぬことについてはまた別の機会に書くとして話を戻すと、大叔母にもう一度で良いから会いたいんです。
不安になる時、迷う時、いつも彼女を思い出します。彼女ならわたしになんて言うだろうか。
そんな人がいるってことが幸せだなぁって思います。
ちなみに写真はパリのオペラ座の天井にある、シャガールの絵です。
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