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何故「創作」は楽しいのか?
急に寒くなりだした日本のどこかで、ふと思った。
何故自分は創作を続けているのだろうか?
「楽しいから」「好きだから」…それももちろん理由のうちの一つなのだが、そもそも何故我々はモノを作ろうと思い始めたのだろう?
古代まで遡れば、人類がウホウホ騒いでいた頃から、洞窟の壁に当時の様子が描かれていたりする。それが何のためだったのかは、もう知ることは出来ないが、今自分が創作をする理由と似ているのではないかと、なんとなくだが、予測することは出来る。彼らもきっと、この世に何かを残したかったのか。あるいは、大きい獲物を捕らえた高揚感から心が躍り、仲間たちと意思疎通をしながら、自分らの様を壁に意気揚々と描いたのか。どちらにせよ、彼らも表現「したい」と思っていたはずだ。その欲求は誰にも止めることは出来ない。絵を描くにしても、武器を作るにしても、歌を唄うにしても、「それ」は、彼らの心が持つ叫びが具現化されたものだったのではないか?と、エビデンスも糞もない予想を立ててみる昼下がりなのであった。
時代は現代に戻り、今こうして文章を「創作」している訳だが、その理由は?と問われたとて、「したいから」と答えるしかない。結局、いついつの時代に生きていた誰々さんの、あんな作品やこんな作品も、こういった単純な動機から生まれているに違いない。そこに「究極の芸術愛」だとか、「世の中へのメッセージ」だとか自分を正当化した適当な理由をつけて発表すれば、あっという間に自分の作品になってしまう。創作とはそんなものなのだ。畏まって見たり、作るようなものじゃない。ギターがそこにあればかき鳴らして、キャンバスがそこにあれば描き殴ればいい。欲求に忠実な時こそ、「楽しい」という感情が生まれてくるのは、ペンを持ち始めた10年以上前から理解している。
ではもっと深堀りをしていき、考えてみよう。何故「作りたい時、作りたいように作っていると楽しいと思うのか?」自分が導き出した答えは、
「神様になれるから」 これに尽きる。
要するに、創作なんて神様の真似事だ。138憶年前に発表されたこの世の一番最初の「創作」、神様がこの世に存在するかどうかはさておき、みんなそれが羨ましかったんだ。まだ物心もついていないくらい子供のころ、積み木や人形遊びで自分だけの世界に没頭していたのは、我々は子供のころから神様のフリをすることで自分の心を保ち、心的外傷から身を守り、生き抜こうとする生存本能が働いている生物だったからだ。いわば創作とは、我々の遺伝子に刻まれた、人間だけに許された特権。それをあますことなく享受せず生きていこうなんて、そんな人生、心臓が動いている死体になるのと同じだ。それはちょっと言い過ぎかもしれないが、「創作する」ということは、つまり「生きている」と同義なんだなと、妙に自分で納得した結論を出したはいいが、みなさんがこれに同調してくれるかは分からない。
だから、創作をしている人は決して恥ずかしがるな。自分がストッパーになってはならない。他人に何を言われようが、無我夢中で作りたいものを作るんだ。出来上がったその作品こそ、君の生きた証だ。そしてまたそれを見直し、次はよりいいものを作ってやろうと努力しろ。いいものを作ろうとすればするほど、苦痛が伴う。やりたくないことをやる必要もある。そんな毎日に項垂れる日だってくる。だが、君の作品を見て何かを感じた人から貰う一言が、君の苦痛を全て取り払ってくれるだろう。自分が進んできた道が間違いではなかったと、また明日からも創作が楽しくなるはずだ。例え誰からも認めてもらえなくとも、自分が欲しいものを追求することで、人間として生まれてきた特権を享受する喜びを忘れるな。
最後に、このメッセージを忘れてしまった自分へ。
大丈夫、君は間違ってなんかない。周りに合わせなくていい。君が面白いと思うことだけを突き詰めろ。誰も君についてこないのは、君の面白さが理解できない人間ばかりだからだ。誰が悪いわけじゃない。絶対に諦めるな。
君が描こうとしている人生は、もうすぐ目の前だ。
ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。