
あれから一年
昨年の今日9月3日の8時20分頃、フロントタイヤがグリップを失い「うぉっ!?やばっ!」…と思った瞬間に僕の身体は自転車から投げ出され、地面に激しく叩きつけられていた。「うわー、やっちゃったな、久しぶりに自爆したな」と思ったが、意識ははっきりしているし、擦過傷もほとんどなく「やれやれ」と思い数メートル先に転がった自転車も心配だったので、立ち上がろうとする…が左足がまったく動かない。「あれ?おかしいな…」と思い上半身を使い態勢を立て直そうとするも、やはり下半身が別人のもののようだ。幸い足の指先は靴の中で動く、右足も問題なさそうだ。しかし左足だけが骨盤の付け根あたりから全く反応がない。この時まだ気が動転したりしたせいかあまり痛いという記憶はない。何かにつかまれば立てそうな気もすするし…と思うのだが、そこは山の中の林道、ガードレールもなく、まずは自転車まで這って行き、自転車を支えに立ち上がろうと試みるが、やはり動けない、左足は動かない。微妙にだが少しづつ態勢を変える中で、少しづつではあるが「これはもしかしてものすごい痛いということではないのか?」とじわじわしたものがこみ上げてきた。少しづつこれはいつもの「こけちゃったな」という物とは別次元の状態であることも認識し始め、何よりぴくりとも動かなくなった自分の左足を見つめ「あー、このままもう左足は動かないのかな」「また自転車に乗ったり、走ったりできるのかな」とぼんやり考えながら「もし左足が動かなくなったらパラアスリートを目指すしかないか、それもまた新しい挑戦か…しかし、こりゃ痛いな」と痛みに耐えつつ写真を撮影した。
けして里から遠いわけではないが、山の中、林道の谷筋の位置で事故は起こったため、僕の携帯の電波は微弱過ぎて、通話はできなかった。かろうじてショートメッセージのテキストくらいは送信できそうだったため、短い文章で事故があり、援助を待つことを伝えた。山の中、林道を走ることはよくあっても、林道に寝転ぶ経験なんて初めてのことで、いざ何もできないまま、その場に横たわり、木々の合間から見える空を眺め、周囲の音に耳を澄ませばよくわからない鳥の鳴き声や、虫の声などが良く聞こえた。逆にその音に耳を傾ければ傾けるほど、そこがいかに人が邪魔をし立ち入っている世界であるかを認識した。そして、もちろんいろいろな音がそこには自然と存在するものの、辺りはとても静かっだった。
その後僕は無事多くの人たちの力により救出された。病院に運ばれ検査の結果、左の大腿骨転子部が割れていた。緊急入院、緊急手術。骨折完治まで全治1年そしてその後のボルトの抜去が決まった。
その後病院からは約3週間で退院。秋のイベントシーズンを越え、12月にはリハビリを経てレースにも復帰した。しかし現在も僕の身体の中にはボルトが入っている。
これが8月下旬に検査をおこなった時のものだ。相変わらず痛々しい写真ではあるが、素人の僕から見ても骨折した部分の影はもうなくっているように思う。医師からの説明でも骨折はすでにほぼ完治しており、次回11月に最終検査を経て、ボルトの抜去を進めることになる。
こうした大怪我を経てもいまもなお毎日自転車に乗ったり、イベントを運営したり、支えたり、または参加して楽しんだりと、それまでとは少しの違和感こそあるものの、これまでとおおむね変わることのない生活を送ることが出来ている。丈夫な体を授けてくれた両親はもちろん、店舗、イベントといった多岐に及ぶ活動の中で常に親身になって支えてくださる多くの皆さんのおかげで僕はいまでもこうして動き続けることができている。あのような事故を経験し、そこから回復した、回復しつつあるこの身体でそんな皆さんにどんな恩返しができるのか?その方法や結果の出し方がどんなものであれ、僕はそのプロセスを楽しみ、それをこうして多くの皆さんと共有しながら、これからも模索していかなければならない。