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たかみえいさん

42歳の私は、NHK教育で放送されていた「できるかな」を記憶している、ラスト近くの世代だろうか。1990年に終了しているので、私は10歳になる年。

ギリ覚えている世代? ただ私にとっては鮮明なのは理由があって、なぜか私は歳の離れた次兄から「ゴン太」と呼ばれていたのだ。

私がゴン太くん好きだったからだと思ってきたけど、物心ついた時にはすでにそうだったので、真の理由はわからない。11歳離れていて、思春期のころに生まれた妹が恥ずかしかったんじゃないかと、最近はこちらが真相なんじゃないかと思っている。

「できるかな」が先か、ゴン太と呼ばれることでそのつもりになったのかわからないけど、園児の私は大きな100円をチラシの裏側に描いて丸く切ったり、おにぎりを描いて三角に切ったりして遊んでいた。ゴン太くんごっこ。

のっぽさんの訃報に触れて、「でっきるかな♪でっきるかな♪はてさてほほ〜♪」とか「ゴン太くんがね、大きな100円持ってノッポさんのところに行くんだよ、『くーださーいなー』っておにぎり買いに行くの」と、職場の人たちと話して、すっかり忘れていたことを思い出して楽しくなってしまった。年寄りが昔話が好きな理由がわかる気がする。

ノッポさんもゴン太くんも言葉は話さない。ナレーションのお姉さんがすべて説明してくれるのだ。「くーださーいなー」とは、ゴン太くんのセリフでなく、お姉さんが代弁してくれるのだ。あの声、好きだったなあ。

番組が終了したときも、ノッポさんがしゃべった!と話題になったことも覚えている。小学校に上がって仕舞えば、放送時間は学校があるので見ることができない。だから、再放送でその声を聞いたのかなあ、聞けなかったのかなあ。そこは忘れてしまった。

私にとってノッポさんは「高見映さん」だった。子供心に、ノッポさんはノッポさん、映さんは映さんだと思っていた。なんとなく、キャラと中の人は違うのだと理解していた。エンターテイナーとしてのプライドを、子供心に察していた気がする。

だから、グラスホッパーさんをやったあたりから「高見のっぽ」と改名をしていたことを知って、ビックリした。私の周囲はだれも高見映さんの記憶がない。私にとってのノッポさんは映さんで、のっぽさんではないという不思議なことになっている。

ノッポさんと認識している、かつての子どもたちのイメージを守ることを選んだ映さんに、また勝手に感動した。

昔の映像を見て、こんなに可愛らしく色気のある男性だったのかと、つい見惚れてしまった。園児の私にはわからなかった。きっと今の感覚だったら追っかけをしていたに違いない。

話は戻って。

私をゴン太と呼んでいた次兄は、とても手先が器用で、ダンボールを使って着ぐるみロボットを作ってくれた。その名も「ゴン太ロボ」。

次兄はノッポじゃないけど、ノッポさん気取りだったのかもしれない。

母が精神を病んでいて、放置されている私をなんとかしたかったのかもしれない。私はいい兄を持っていた。有り難い。

のっぽさんの死が、そんなことを気付かせてくれた。

ありがとうのっぽさん。のっぽさんの蒔いた種はちゃんと芽吹いていますよ。おやすみなさい。

さらに歳の離れた長兄が空気ですが、長兄もいろんなところに連れて行ってくれたので、いやほんと、いまの私は2人の兄がいなかったら、どうなっていたかわからない。ありがとう、兄ちゃんズ。

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