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役に立つから、やる?

仕事をしない時期をどんなふうに過ごすのか。
むしろ仕事を完全にしなくてもいいのか。

こんなお気楽そうに見える私も、自分から身近な人に相談したし、相談しなくたって、勝手にあれこれと言ってくる人もいた。きっと心配してくれているんだろう。ありがとう。

でも結論として、相談しなくても、人の意見を聞かなくても、いま考えると、不安だったから相談しただけで、結論は出てた。
人に相談すればするほど、混乱したりもする。
10人に意見を聞いたら10通りの案が出てきちゃう。
で、そこに自分の答はない。
当たり前だけど、決めるのは自分だから。
その10人の誰かに従うんじゃなくて、自分はあくまで、11人目。

ただ、そんな中でも、案として確かに自分にとっていいな、と感じたものがある。

それは、「休みのあいだ、仕事とは全く関係ないことをしたらどうか?」というもの。

え、それだけ?と思う人もいるかもしれないけど、まじめな人ほど、「せっかくだから、今後のために資格でも取るか!」とか、仕事に役立つ勉強をしようとか経験を得ようという発想にもなる。

けっこうまじめな私も、実はそんなことも考えた。

でも、今のところそのつもりはない。

まず、まじめな人だったら、すでにけっこう経験もあるし、なんか資格をもってたりする。
ちなみに自分は、教育関係の資格があって、海外の大学院にも行った。
英語も普通に仕事で使ってきた。

せっかくの長い貴重な休みに、また勉強や資格って、いったいどこまで鎧兜を身につけて強くなったら気が済むのか。いったい何になりたいのか。

先日、スープストックトーキョーの遠山正道さんのお話をポッドキャストかなんかでたまたま聴いた。

基本はビジネスの話なんだけど、ほがらかさと少年のようなマイペースな感じに惹かれて、つい図書館で本を見つけて予約した。

そのお話の中で1番おもしろかったのが、【今の時代は「ピクニック期」と呼んでもいいんじゃないか】というところ。

私なりに聴いて学んだことは…
人はつい、それをやって「何になるか」を考えてしまう。例えば、お金になるか、とか。
次の仕事につながるか、とか。
でも今は、社会や世間にウケるように狙って何かをするんじゃなくて、まずは自分がそれをただやりたいとか、ただ面白いと感じていることを大事にすることに慣れたほうがいい。それが何になるかじゃなく。

そんなようなお話をされてました。
私の解釈が入っちゃってるかもしれないけど。

休みに入ってから、私は小説とか、料理や登山とか旅のエッセイとか、仕事の世界とは全く関係ない本を読んだりしていて、「それが何になるの?」って言われても別に何にも今のところならない。
ただ、本は今の自分とは全く違う世界を教えてくれるから、世間は広いんだということをもっと知れば、仕事に復帰したあともなんとなく前よりもしなやかにやっていけるのかもしれない。
あちこち旅に出かけるのもいいけど、コストを抑えたいなら色んな本を読んだり、人の話を聴いて知らなかった世界や触れたことのなかった考え方に触れるのは、広い意味で今後の人生の糧になると思う。

一方で、仕事をしていたときの私は、本選びをするときも、何か役立ちそうなものを…というのがいつも頭のどこかにあった。
この、「役立ちそうな…」というのは、もう強迫観念でしかなかったことを、今になって思う。自分の見えてる範囲がすべてで、そこで少しでも優等生になりたい一心。

ただ楽しい、ただ面白いっていうことを、「それが何になる?」なんて問い始めたら、人生のおおよそは無意味。

褒められても、地位を得ても、やってること自体が自分にとってむなしかったら、私には意味がないし、人にもそのむなしさが伝わるだけ。

長めの休みには、自分の人生を俯瞰して、心の世界をちょっと広げてみる。
それがいったい何になる?なんて考えなくていい。
そんなチャンス。


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