手をつなぐ。それがリモート介護ではできないこと
めちゃくちゃ当たり前のことを堂々とタイトルにしてしまいました。
でも、改めて大事なことだとしみたのです。というわけで、認知症、要介護4、施設暮らしのmy母(86歳)との発声練習の話です。
最近ますます発話がむずかしくなったmy母。離れて暮らしていてもビデオ通話を頻繁にして発声を促していますが、声はなかなかでず、回復していきません。
私「『おーーーーーい!』って呼びかけてみて!」
母「・・・・ぉぉぉぃ・・・」
私「『やっちー!』って呼んでみて!」
母「・・・や・・・ぃ・・・」
本人も頑張ってトライするのですが、なかなか、その場限りになるなあと難しさを感じていました。もちろん、やらないよりよいのですが。
以前noteに書いた通り、母を訪問した時に声を出すトレーニングを兼ねて、一緒にアレクサカラオケをしています。
でも、ただ声がでる、だけではなく、「感情を伝え合う」ことも大事なんだよなあ、、、そう思っていました。
そこで、my母が昔から好きで見続けている、日テレの長寿番組「笑点」を一緒に見るようにしました。共通の話題ができることで、少しでも会話らしきものが生まれるのではないか。
できるだけ毎週日曜日、笑点が放送される時間には母の部屋にいるようにして、一緒に見ています。my母は昔から見ているせいか、たまにウケてふふっと笑っています。そうするとすかさず「まったく小遊三はまたエッチなギャク言っているね!」と具体的に話しかけて、うんうん、とうなづき合います。
それはそれでよかったのですが、何かもう一押しできないものか。
今日は、笑点を一緒に見るときに、手をつないでみることにしました。
何かハラハラする時はギュッと握ったり、笑ったら手をトントンとリズムを打ったり。
ちらっと見ると、my母はにんまりしていました。そして何か言いたそうにして、口を動かしていました。ほぼ聞き取れなかったのですが、「そうだね」、と笑顔で返したりしました。
もともと「楽しい時間を共有しよう」というために一緒にテレビを見ているのだから、手をつなぐ、というのはとても相性がよかったのです。私のにぎりかたに強弱があることも感じ取っている様子がありました。
放送が終わってしばらくして「これから帰るね」というと、毎回とても寂しそうだったのですが、今日、手をつないで30分笑点を見終わったとき、my母はとても満足していて、うんうん、と笑顔で送り出してくれました。
My母と私は離れて暮らしていても、頻度よくメールしたりビデオ通話をすることに慣れていたので、接する機会を多く持っていると思いこんでいました。
でも、直接触れるという接点こそ、一緒にいなければできないこと。
母と10分以上手をつないだというのは、もう40年以上前。幼い私がはぐれないようにと、手をつないでくれて歩いたときのみです。何もなく一緒に長い時間手をつないでいた、という記憶はありません。なんとなく手をつなぐ、そういう文化はなかったのです。
なんで、もっと早く、手をつなぐことに気が付かなかったんだろう!
手をつなぐことでそこに感情を少しでも託すことができるのだから、会いにいったときは、もっと手をつなぐといいのです。
声が出ないというのは声帯の筋力の問題や、認知症で脳の機能が低下して言語が出てこないなど、いくつか要因があるようです。
でも「感情がある」「通じ合いたい」という心は失われないのだと感じています。
だから、発声練習だけでなく、こうして手をつないで、感情を伝え合うこともトライしていこうと思います。
私もmy母も、満たされた気持ちになって、声を出さなくてもいいか〜、となってしまうかもしれません。それならそれでヨシではあるのですが、しばらくは発声練習の補助として、手をつないでみます。
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