僕のafter.311 《1》2011.03.11、千駄ヶ谷オフィス
「15分後に起こしてくれ」
そう言うと、向かいの席で先輩がデスクに突っ伏し始めた。
「了解です」
15時に起こせばいいのか、僕は時計を確認した。
それから間もなくして大きな揺れが発生した。僕は取引先に提出する資料を作成中だった。グラグラグラと大きく横に振り回され、机の上にある書類や本、フィギュアなどがガチャンガチャンと次々にデスクから床に落ちた。僕はとっさにパソコンが落ちないよう懸命に抑えたが、大きな揺れのせいでついには体さえも支えられなくなり、パソコンを抱えてデスクの下に座り込んだ。どのくらい揺れていただろうか。揺れはかなり長い間続いた。その間もデスクのキャビネットが勝手にどこかへ行ってしまい、さらには棚から多くの書類が落ちる音があちらこちらから聞こえた。
揺れが収まった後、社長が「外へ避難しよう」と言い、社内に残っている者たちはみな、オフィスから出て行った。エレベーターは止まっているので、8階から階段で移動をする。2年前に新築で入ったばかりのオフィスビルの壁にはたくさんの亀裂が入っている。ビルは全面ガラス張りなので、外へ出た時は上に注意しなければいけなかったが、幸いガラスは割れていなかった。僕らは会社の裏手にある駐車場に避難した。避難した駐車場で、誰かが
「震源は東北だって」
と言った。ケータイのワンセグで情報確認したらしい。それを聞いてもまだ、僕の実家のある南相馬がどうこうなっていると具体的なイメージは何もなかったが、念のため家族の安否を確認しようと思い実家に電話をかけてみる。実家の電話はつながらず、親父の携帯電話も、母の携帯電話も、妹の携帯電話もつながらなかった。災害時は電話がつながりにくいという話を聞いたことがあったので、今度はスカイプから親父の携帯電話にかけてみる。トゥルル、とつながる音がした。
「親父?大丈夫?」
「お前か?こちらは大丈夫だ」
この一言のやりとりだけで電波は非情にも途切れてしまった。再び掛け直すが、もうつながらなかった。
親父は福島市に単身赴任している。親父が無事だからといって他の家族も無事とは限らない。なにせ実家は、築30年を越える古い家なのだ。必死に電話をかけてみるが、僕の手の中にあるスマートフォンは何の役にも立たなかった。