そのとき、人生が動いた〜誕生日付近に起こるターニングポイント〜
本日、40歳の誕生日を迎えました。昨日の夕刊でふと目に止まったものがあり、誕生日にかけてこの記事について考えていました。
『秋葉原殺傷事件から14年』
あの事件は当時僕に大きなインパクトを与えました。
当時、僕は転職をして翌9日が初出勤なのでした。誕生日だったこの日に東京へ引っ越しを済ませ、買い物へと街に繰り出していたのでした。幸い、秋葉原ではなく新宿でしたが、のちに逮捕された容疑者が同じ歳だと知りました。
26歳、同じ歳で方や転職をし、方や殺傷事件を起こしている。名前も伊藤と加藤で似ていました。
そういえば、誕生日付近って色々起こっていたな、と考え思い起こしてみると不思議と人生を大きく変える出来事の第一歩は誕生日付近に起こっていることに気づいたのです。
科学的な根拠は全く分かりませんが、誕生日の季節は気候や環境が自分に合っているので、幸運のような目に見えない何かが味方になってくれやすいそうです。皆さんもきっと自分の誕生日周辺には自分の人生に影響を与えた大きな出来事があったかもしれません。ぜひ思い出してみてください。
ここから先は僕の回顧録です。いやぁ、誕生日付近色々あったなぁ。やっぱり誕生月はエネルギー値が高いんだろうな。
ボスの議員辞職@2021年
「とんだ誕生日だね」
と妻に言われたことをいまだに覚えています。忘れたくても忘れられないサプライズだった誕生日。秘書として仕えていたボスの記事が週刊誌に出た日でした。これがきっかけでボスは議員辞職し、秘書である僕も自動失職したのでした。
「無職になった」というとマイナスのイメージが先行してしまうかもしれませんが、僕はモラトリアムだと捉え、むしろ色んなことを考える時間にもなり、充実した日々を送ることができました。ほんと、ロングバケーションでした。
昨年のこの出来事を経て今の仕事に繋がっているので、非常に大きな出来事だったと思います。詳しくは調べないでください。
政治業界入り@2019年
今年もありますが今から3年前に参議院議員選挙が行われました。僕は家族で親交のあった秋田の寺田静さんの応援に入りました。そのことがきっかけで、秘書になることを決め、今も秘書をしています。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
起業@2017年
実は息子の誕生日も6月で、息子が生まれた直後に会社登記をしました。それが合同会社番です。この会社を立ち上げたから経験できたこと、学べたことがたくさんありました。
田舎移住@2016年
人口1500人(当時)の島牧村へ移住を決めたのが2016年の春でした。ちょうど良い物件が見つかり、引っ越しを決めたのです。とはいえ、札幌の家も残した状態でしたが。村に仕事がなかったので、地域おこし協力隊の導入を訴え、具体的に導入されることになったのが2016年の6月でした。協力隊の仕事があったから二拠点生活をスタートすることができました。
結婚式@2015年
子どもが1歳になり、6月6日に結婚式を挙げました。結婚式を二人の地元・福島ではなく、移住した北海道で挙げることに決めたのは、新しいこの地で生きていくという決意の表れでした。そう、この日本当の意味で道民になったのでした。
妊娠発覚@2013年
妻の妊娠が発覚したのが6月でした。この直前に大げんかしており、この妊娠がわかっていなかったら、スピード離婚していたところでした。二人の縁を繋いでくれた娘の存在がわかったのも6月でした。
復興支援@2011年
2011年といえば東日本大震災です。僕の実家は南相馬市で、地元が大変な事態になっていることを知り、何かできることはないか悶々とした日々を送っていました。そんな時に連絡をしてきたのが市議会議員をしていた高校の同級生でした。
彼からの連絡も6月。その連絡を受けた翌週末に南相馬に帰り、市議と会い彼と彼の仲間が始めた復興支援活動に従事していくことになりました。
その後僕は散々迷いながらも会社を辞め地元にUターンすることを決断するのでした。
転職@2008年
これは冒頭に言った通り、秋葉原の事件があった日ですね。この日、転職した会社で僕はたくさんの失敗もたくさんの成功もして、震災後に辞めるまで貴重な経験を積み重ねることができたのでした。
新たな挑戦?@2022年
さて、というわけで今年も新しい挑戦をすること、向き合うことの意思表明を内内ながらすることができました。具体的に動き出すのはきっともっと後になるのだろうと思いますが、その最初の一歩を踏み出したのは奇しくも誕生日になりました。誕生日パワー、やっぱり侮れません。
6月はまだまだ続きます。これからも何かあるかもしれないと思うとただただワクワクします。