僕のafter.311 《13》二足の草鞋を履く
メディアではまだまだ被災地の情報を流していたけれど、震災から3カ月も経つと、東京ではだいぶ普段の生活が戻ってきたように思う。僕が働いていた代理店も仕事が戻ってきて忙しさを取り戻していた。以前であれば、僕はいつも終電近くまで働いていたのですが、ここのところは夜が忙しくなってきた。
定時になると上司に「用事があるので先に帰ります」と告げ、出ることが多くなった。正直これには多大なる罪悪感がついてきた。終電近くまで働くことが身についてしまってたんだな。21時より前に帰れるなんて、お盆くらいのものだったから。
罪悪感を抱えながらも帰るのは、南相馬の復興支援という大義があったから。仕事終わって六本木に出て、大手IT企業と打合せをした。これもケンスケの紹介(指示?)によるものだ。ズラリと顔を並べた有名企業の若手幹部らと、南相馬の復興支援について語り合う。
いつもの仕事では味わえない刺激がそこにあった。みんな熱かった。東北をなんとかしたいんだ、自分がやらなきゃと息巻いていた。その思いは僕も同じだ。
みんな僕よりも少し年上の兄さんばかりだったけど、アイディアも実行力も社会を動かす術も知っていて、みんなすげぇなって自分とは全然違う世界の人たちだなって、素直にそう思った。
東北の、というよりも南相馬の復興は自分の故郷のことであり、自分ごと。その一点だけは絶対に負けない。能力は周りと比べて足りてないかもしれないけど、この一点だけで僕はこの場にいる。彼らの力を借りて、南相馬を生き返らせるんだ。
ケンスケの指示は六本木のY社だけではなかった。品川の大手外食企業やNPOなどへの訪問やCSR部門がある企業への営業など、これまで本業では全く関わりのなかった仕事が振られてくる。
定時で帰って営業へ行くためには本業を疎かにはできない。いつも以上に頑張って時間を作った。資料作成などは深夜に作業した。本業の仕事と復興支援、二足の草鞋になってきた。そして毎週末は南相馬。ただ、正直に言えば少々体力に不安が湧いてきた。