より良いシャバーサナを迎えるために
今日はヨガに行ってきた。
決まった時間・曜日ではなく、
行けるときにサッと予約して行けるので、
今通っているスポーツクラブの利便性の高さが気に入っている。
左肩の五十肩が、腕が耳につくくらいまでに良くなってきたので、ヨガを再開した。
ヨガは、全身を使うし、エアロビクスのように激しくないし、地味に効いてくるところが好きだ。
自分と向き合う時間を持つという、精神面からも効果的だと思う。
私にとって、ヨガは単なる健康維持の手段ではない。
ヨガは、瞑想から入り、最後はシャバーサナというクールダウンで締める。
シャバーサナとは、サンスクリット語で「屍(しかばね)」を意味する「シャバ」と、ポーズを意味する「アーサナ」を組み合わせた言葉。
日本では「屍のポーズ」と呼ばれ、魂が抜けた屍のように、体を動かさずに無の意識になることなどに由来している。
私は、このシャバーサナが好きだ。
ヨガのスタートを生命の始まりだとしたら、シャバーサナは生命の終焉。
ヨガの一連の動きは、シャバーサナに向かっている。
シャバーサナを迎えるために、きついヨガのポーズも耐えられる気がする。
人生に置き換えて考えてみる。
普段の営みの数々は、より良い死を迎えるため。
より良い死を迎えるためには、よりよく生きること。
人生とヨガを重ね合わせて考える、
この時間が尊い。