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期待も希望も強すぎると自分を傷つける刃になる
嫌な事が連続して起きた時にそれをストレートに受けて自分がストレスフルになるか?それともその出来事から何かを発見する事でこれからの人生のエッセンスにするかどうか?
誰でも一時的にストレスフルになるのは仕方ないと思うんですね。
人間の脳、思考力の中で嫌な事はどうしても良い事よりも素早くクローズアップされるし、印象に残りやすいと聞いてるのでメンタルに影響は大きいと感じます。
自分はなんて運が悪いんだろうと悲しむ事が最優先になり、それこそ感情に囚われてしまうのもこれも自然な流れなので仕方ないと思います。
嫌な事に何がどうしてこうなったのか?と原因を探してしまいますが、それがもっと脳に負荷をかける状態になってしまい、やがて心身共に弱っていきます。
喜怒哀楽をストレートに受け止められる事はある意味では感情の動きがあり脳にも良いとは思いますが、過剰反応すると自分自身を傷つけることにも繋がります。
繊細さというのは時としてそのような影響があるのではないでしょうか。
自分の生き方として繊細な部分は勿論、必要かと思います。
でも自分自身を傷つける1つの原因となるなら、ある程度傷をつけない方法を知る事も大切で知らなかった時より遥かに有効な時間を過ごす事もできると思うんです。
ストレスフルになるのは対処方法もわからないから溜まりに溜まるわけで。
私が今回心身共にギブアップしそうになった原因は生活保護という環境の変化もありましたし、そこでフツフツと湧いた孤独感と後悔、相手への期待で補強されて一気にやってきた感じだと分析しました。
それがわかったのはちょっとした今日の出来事でした。
今朝から目の前の家の隣?で公共工事と思ってた道路や縁石を掘削作業での爆音で内心『その音がするなら予め言ってくれればいいのに!』とムッと来てました。
所が公共工事ではなくその家が発注した工事らしく余計に何なの!?と感じてしまいました。
この後通常ならめちゃくちゃイライラする時間が長かったのですが、今日は違いました。
何の報告もないご近所さんより、この蒸し暑さの中で大変な作業をされてる方に意識を向けてみたんですね。
何がどうあっても依頼主から仕事を任されて作業してる人には何の落ち度もないわけだし。掘削作業での振動は慣れていても身体に応えるよね…無事に終わればいいなとふとこんなふうに思えたのです。
怒りや不快感の矛先は勿論、ご近所さんになのですがもう始まった作業は止められないし、これから1ヶ月も続く訳じゃないだろうから。
今日1日くらいならイイかな?
それとここまでの作業になったのは余程の事かもしれないかな?もしかしたらこんなに爆音となるのも予想以上だったかもね!とイヤフォンで音楽を聴く事にしました。
そっか、私はきっと相手が予め何も言ってくれ無いことに腹を立ててどこかで伝えてくれる事に期待していかのかもしれません。
自分なら予め伝える事を伝えてたらトラブルは起きないのにという事を今の今まで経験してきたから余計にその部分でストレスフルになっていたのもちょっと分かりました。
仕事をやっていた時には結構スルーしていた自分の頑固さと視野の狭さはこの生活保護の時間を送ることによってちょっとずつ緩んできたら嬉しいです。
自分ならそうするのに…というのはある意味提案的な部分はありますが、それを自分にやってくるたらいいのにという期待がどこかにあると思うんですね。
思うように運ばぬ出来事や人に自分の期待を押し付けるとゴムのものを投げたかのように跳ね返ってきます。
今回の騒音問題はそこに気づかせてくれる良い経験でした。
最後までご覧頂きましてありがとうございます。
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