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読書会をひらくコツって?【学術書をみんなで楽しく読むには】
こんにちは。ロロ(ろろ)です。
東京大学大学院に在学して、文系の研究や勉強をしています。
さて、今回の記事のテーマは読書会です。
文系の大学生・大学院生のなかには、読書会を経験したことのある方も少なくないはず。複数人で文章を読むなかで、自分では気がつかなかった視点を学んだり、友情が深まったりするのは良い経験ですよね。本や論文さえあれば、かんたんに開催できるのも嬉しいところです。
一方で、建設的な収穫が豊かに得られるような読書会を運営するのは、実はなかなか難しいのではないでしょうか。
読書会をしてみて、どうしても「やってる感」ばかりが先行してしまい、実際にはあまり学ぶものがなかった、というケースは記憶にあるでしょうか。また、モチベーションの維持、メンバー集めといった、運営上の諸問題もしばしば起こるように感じられます。
今回の記事では、わたしのこれまでの経験を基に、よい読書会を運営する方法について考えてみます。特に、開催する人、主宰する人の視点に立って、どうしたら楽しく、建設的で、健全で、学ぶものが多いコミュニティづくりにつながるのかを考えてみます。
この記事は、大学生・大学院生が学術書を読むコミュニティを想定していますが、もっといろいろな読書会の運営にも応用可能です。大学生や大学院生に限らず、読書会の運営をしたいと思っている方は、ぜひ読んでみてくださいね。
※前提として、ここでいう「読書会」とは、例えばお勧めの本を紹介しあうような形式ではなく、ある本や論文を各自で読んできて、集まってから感想や意見を話し合うものを指します。
読書会は、はっきり言ってやる必要はない
1. その読書会、ほんとうに必要ですか?【そもそも論】
もしあなたがこれから読書会を運営したいと思っているのなら、その必要性についてもう一度再考することをおすすめします。
というのは、読書会の運営は思っている以上に大変だからです。
ある本や論文に対して、あなたと同じくらいパッションを維持できる人をみつけるのは、そもそも容易ではありません。シリーズ形式の読書会のなかで、回を重ねるごとに参加人数が減っていってしまった経験や、あなた自身の足が遠のいてしまった経験はあるでしょうか。参加者ひとりひとりにやるべきことの優先順位があるなかで、読書会を常に上位の優先事項にし続ける人たちが揃うというのは、なかなか難しいのです。
特に、あなた自身が読書会を立ち上げ、運営していく立場にある場合には、あなた自身の魅力も問われてしまいます。どうしても、一目置かれている学生の周りに、人が集まってしまうものです。(もちろん、一目置かれている学生のパフォーマンスが学術的に素晴らしいかというと、そうとは限りませんが。)とりわけ、あなたが大学院に入学したばかりの修士課程の学生で、周りに人脈があまりない場合、アクティブなコミュニティを立ち上げるのは少し難しい可能性もあります。
では、どうすればよいのでしょうか?
読書会は、はっきり言って開催しなくてもよいのです。
読書会のお誘いのメッセージをライングループに送る前に、本当にあなたがあるコミュニティにコミットしたいのか、考えてみましょう。もし疑問が残るなら、読書会なんてやめて、以下のことをやってみるのはどうでしょうか。読書会をひらかなくても、よい読書会と同じくらいの効果が得られるかもしれません。
2. 読書会をひらかなくても充分深く学べる読書の方法【ひとりでできる!】
以下、自分ひとりでもできる、読書から得られる学びを深める方法を3つ紹介します。どれもわたしが日頃からの経験で有効だと感じるものです。
①メモを取りながら文献を読む
読書会の利点のひとつは、読書会をきっかけに本や論文を丁寧に読み、深い理解が得られることです。これは、一人で読んでいたとしても、ある程度は実現可能です。
文献を読むときに、手を動かしているでしょうか。新たな知見が得られた箇所や面白いと思った箇所をハイライトしたり、抜き出してメモをしておいたりするだけで、文章の理解は一気に深まります。加えて、感想や疑問はどんどんメモをしておきましょう。メモの蓄積=自分の思考の蓄積、です。読書を通して自分の思考を蓄積させておくことは、その後のあなたの視点や言葉を鋭くさせてくれるでしょう。
(文献のメモの取り方のコツについては、今後の記事で発信します。)
②書評を読む
わたしが思う読書会の最大の利点は、あらたな視点に出会えることです。他の人の意見を聞くことで、自分の思考の限界に気づき、視野を広げることができます。
これも、自分ひとりでも実現できます。書評を読めばよいのです。
学術書に限らず、注目が集まっている書籍は、レビューが各媒体に掲載されます。学術ジャーナルや新聞、雑誌などに掲載されている書評を読めば、他者がどのようにその本を読んでいるかを学び、多角的な論点に気がつくことができるでしょう。(※学術ジャーナルに掲載される書評の場合、その書籍が刊行されてからレビューが出るまでに時間がかかるという欠点はあります。)
また、書評を書くスキルは、多くの研究者に求められるものでもあります。特に大学院生は、多くの書評を読むことで、自分が書評を書くために必要なスキルを体得できるでしょう。
③ChatGPTと対話してみる
これは好みが分かれる方法かもしれませんが、本や論文に対する短いコメントを書いて、ChatGPTに入力し、なんらかのレスポンスを得てみるのは有効だと思います。もちろん、的外れなレスポンスになる可能性もありますが、ここで重要なのは、とにかく言葉のやり取りを通して、自分なりに考えるきっかけをつかんでみることです。
自分が研究している内容についてまったく知らない家族に研究の話をしてみたら、とても素朴な質問が来て、意外にも考えさせられてしまった経験はあるでしょうか。生成AIとの言葉のやり取りも、的外れになるかもし的を射るかもしれないが、なにか自分の考えを改めるきっかけがあれば儲けもの、という感じでわたしは捉えています。
(※ChatGPTをはじめ生成AIの使用には、数多くの倫理的な問題もありますが、そういった点は今後の記事でまとめてみます。)
①~③のポイントをまとめるなら、アクティブな読者になる、ということに尽きます。自分から文章に積極的に働きかけるようにして読めば、たとえひとりで読んでいたとしても、読書会と同じくらい充実して学べるのではないでしょうか。
3. 読書会にこだわらず知的なコミュニティをつくる方法【仲間とできる!】
もしあなたが、「勉強がてら友情も深めたいなぁ……」くらいの動機で学生同士の読書会をひらこうとしているなら、別に読書会という形式にしなくてもいいです。
個人的には、準備なしで、なおかつ一回で完結する知的なアクティビティの方が、下手な読書会よりもかんたんに仲良くなれるし学ぶことも多いです。
たとえば、誰かを誘って一緒に研究者の講演に参加してみるのはどうでしょうか?ミュージアムの展示に行くのはどうでしょうか?映画や演劇をみるのは?
こういった活動の肝は、準備が要らないこと、時に読書と同じくらい自分の知見につながることです。ちょっとしたエンターテインメント性があることもポイント。そして帰りに一緒にカフェにでも寄れば、確実に共通の話題があり、友情につながる可能性も高いでしょう。
読書会は時間もかかれば知的な集中力も試されます。薄い動機なら、代替案を探しましょう。
それでも読書会をやりたいときは
ここまで、読書会の運営に対して消極的な見解ばかり書いてしまいましたが、わたしは読書会のアンチではありません。わたし自身多くのことを読書会から学んできたし、読書会の運営/参加に楽しさを見出してきたほうです。
それでは、読書会を運営するにあたって、どういったことが重要なのか、考えてみましょう。
1. なにを読むかは、たいして重要じゃない
もしあなたが、「『XXX』という本を読みたいから、その読書会をひらいてみたい!」と考えているのなら、わたしはその発想はお勧めしないです。優れた読書会をひらくためには、なにを読むか、という問題はたいして重要ではないと思うからです。
大切なのは、どの文献を読みたいかではなく、どのようなことを学びたいか、です。言葉を変えるなら、ひとつひとつの文献の先にある問題こそが大切なのです。
本や論文を読むことで、どのような知見を得たいのか。その知見を通して、どのようにいまの学術界に対して批評的にかかわっていきたいのか。そういったビジョンこそが問われているのだと思います。
『XXX』という本を皆で読みたい、というような動機で読書会をひらこうとしているのなら、その本を読んだ先に何があるのか?と自分自身で再考してみてください。そして、ひとつひとつの文献を超えてどのような問題にアクセスしたいのかを明確に説明できるようになれば、読書会という形にすれば良いとわたしは思います。
このように考える理由は、おもに2つあります。
1つは、多くの人に興味をもってもらうことができるからです。『XXX』という本を皆で読みましょう、と言ったところで、関心の矛先が違う人には響きません。そうではなく、『XXX』という本を通して「OOO」という問題に向き合いたいです、と言った場合、たとえ分野が異なる人であろうと、関心を抱いてくれる可能性は上がるのではないでしょうか。
もう1つは、シラバスを作る力を高めることができるからです。大学院生のなかには、大学の講師、ゆくゆくは教授を目指している方も少なくないでしょう。あなたが教える側に立ったとき、あなたがしなければならないのは、授業のシラバスを作る=学習のロードマップを描くことです。ある特定の文献を正確に理解できる、ということは、もちろん極めて重要なスキルですが、必ずしも授業のゴールではありません。その授業を通して、何を学生に考えてほしいか、なにを身につけてほしいかを考えるのが、教える人の役割だと思います。読書会においてなにを学ぶのかを考える経験は、ゆくゆくは授業のシラバスを作り、他者がダイナミックに学んでいく環境をデザインしていくスキルにつながっていくのではないでしょうか。
2. 通読は、しなくていい
ある一冊の本を通読するために、複数回に渡ってミーティングを行っていくという形式の読書会は、結構ポピュラーなものだと思います。特に難解な書籍の場合、一冊を読破した経験は、達成感にもつながるでしょう。
しかし、わたしは、通読を目指す読書会はやらなくていいと思います。
その代わりになにをするのか。本から一章だけ抜き出し、そこだけ読めばいいと思います。
特に英語の学術書の場合、イントロダクションだけ読めば、その本が何を目指しているのか、明確に解るように書かれていることが多いです。日本語の場合も、序章が丁寧に書かれている場合は序章を読めばいいですし、そうでない場合は序章に加えて重要そうな章を読めばいいと思います。(もちろん、分野によって書き方が異なることもあるでしょう。)
重要なのは、ある本が、なにを、どのように論じているのか、そしてその著者がその本をどのように既存の学術の言説に位置づけようとしているのかを理解することです。言い換えるならば、その研究の主張とメソッドを掴んだうえで、著者がその研究をいかに重要だと思っているのかを理解できればいいのです。細かい議論や個別の検証は、全員が理解する必要はありません。
読書会では、一冊の本のイントロダクションだけを読んで解散、でも良いと思いますし、複数回に渡っていろいろな本のイントロダクションを読み比べる形式でも良いと思います。
こうした形式にすることで、まずコミュニティの運営にメリハリがでます。同じ本を長期間に渡って読み続けていれば、当然飽きる人も出てくるでしょうし、好みが合わないと感じる人は離れてしまうかもしれません。そうではなく、いろいろな研究のエッセンスだけをつかむことで、効率よく学び進めることができます。
また、研究のディテールではなく、そのメソッドに焦点を当てることで、分野が違う大学生・大学院生にとっても、良い刺激になるでしょう。特に、最新の研究において、どのような視点や手法が重要視されているかを学ぶことは、分野を超えて役に立ちます。たとえばあなたが中世の日本文学を研究していた場合、イギリスの産業についての歴史社会学的な分析について読むことは役に立つでしょうか?もちろん、個別の議論では役に立たないでしょう。しかし、研究の土台となっている視点や手法の観点では、インスピレーションを得ることもありうるのではないでしょうか。
読破や通読は、もちろん意義のあることです。しかし、その達成感を捨てることで、読書会でシェアできる知見は広がるはずです。
3. 発言権をもつのはだれ?
読書会の運営において、どうしても問題になるのは発言のバランスではないでしょうか。学年やジェンダーの違いなどによって、発言をしやすい状況にある人と、発言をしにくい状況にある人が分かれてしまうことはあると思います。
わたし自身も明確な解決方法は思いつかないのですが、参加者によって発言時間の長短が明確に異なってしまっていたり、ずっと発言し続ける人が固定化されてしまう場合は、なんらかの形で議論のファシリテーションを改善することが必要だと思います。場所を変えてみる、といった一見関係なさそうなことも意外と有効かもしれません。また、思い切って解散し、参加者を集めなおしてみるのも、良いと思います。
4. 飲んだり食べたりしよう!
これはちょっと余談に近いですが、やっぱり人間、飲み物や食べ物には弱いです。もしあなたが読書会の運営をしているなら、差し入れ的になんらかの飲食物をシェアするのは、健やかな議論の環境の維持のために有効だと思います。ちなみにわたしはカットフルーツにかなり弱いです。
もちろん、軽食がてらダラダラ話し合うことは目的ではないので、当初決めていた時間の延長はしないといった、運営面のメリハリは守るべきです。
まとめ
今回の記事では、よりよい読書会の運営を行うために、そもそも読書会は必要ないという前提に立って、わたしが考える読書会のコツを紹介しました。
繰り返すように、読書会は、別にする必要はありません。もっと踏み込んだ言い方をするならば、読書会をするかしないかは、実はたいした問題ではないのだと思います。
大切なのは、あなたがどのような展望のもとで、本や論文を読んでいるのか、です。どのようなビジョンをもって、どのような問題にアクセスしたくて、文章を読んでいるのか。あなたの読む姿勢こそが、読書会の有無や形式、なにを読んでいるのかにかかわらず、いちばん大事なことなのだと、わたしは思います。