#4 ”ふつう”へのリセットボタンが見つからない。
2018年12月。
物事にはすべてタイミングがある。
いいタイミング、悪いタイミング。
タイミングのいい人、悪い人。
タイミングが合う、合わない。
そして、それらはたいていの場合、「○○さんはいつもタイミングが悪い」とか、「こんな時に限って」と、ある人・ものに限定されて起こることが多い。
まさに彼とのアポイントがそうだった。
この数日ずっとやり取りしているがどうにもこうにもまとまらない。
さんざんやり取りしたあと、この日でと提示された日は、私の乳がん検診予約日だった。
仕事のアポイントが入れば、たいていは自分の都合よりもお客さんや取引先の都合を優先してきた私だが、今回ばかりは自分の体のタイミングに合わせなければならない。
これを逃したらまた1ヵ月先、2ヵ月先となってしまうからだ。
メールを打ちながら、
「ご縁がなかったね」
とつぶやく。
病院のアポイントがあるから今回は見送りたい、とカタカタとタイピング。
キーボードが事務的な音を出す。
病院に行くことを理由に断ったのはこれが初めてだ。
検診予約をしてからというもの、心がぐらぐらと不安定になっている。
黒いベールで被われているように、何をしていても誰といても、考えることは同じ。
もし、乳がんだったら?
私、死んじゃうの?
そんな不安に耐えられなくなっては、スマホで検索ばかりする日々だ。
ありがちだ。
人がネット検索するときの半分は不安解消、答え探し。
そんなことしたところで、不安は募るだけで、実は逆効果とわかっているくせに、今の私は完全にネガティブに支配されている。
怖いんだ。
今までの生活が一変するかもしれない。
子どもたちよりも先に死んでしまうかもしれない。
そんな不安を同僚に打ち明けた。
彼女も再検査組だときいて、自分だけではないとほんの一瞬ホッとする。
そして、自分の中で仲間意識が芽生える。
いやしかし、再検査仲間ってどうなんだと、自分につっこむ。
励まし合ったところで戦うのは本人だ。
検査を受けて結果をもらうまで、この不安と戦い続けなければならない事実は変わらないんだ。
この冬は厳しい冬になるかもだ、と窓の外を見ながら大きくため息をついた。
要再検査とわかった日に、中学生の息子にそのことを告げたときのことをふと思い出した。
息子の動揺は私の動揺を超えるもので、
「え?そうなの?再検査?どうなるの?」
と、彼から質問攻めにあった。
あまりにも不安がる息子をみて、要再検査ぐらいなんだ、私がしっかりしなきゃだめだ、と思った。
すべてから逃げようとしていた自分をもとの位置に戻してみる。
リセットだ。
よし、とりあえず検査のことは忘れて、「ふつう」の生活をしよう。そう思った。
その「ふつう」を意識したときに、自分が普通だと思っていた日常はけして当たり前じゃないということに気が付く。
これまたありがちだ。
実にありがちなシナリオである。
失ってはじめてわかる、あなたの大切さ・・・てやつだ。今まで随分と人生に対して傲慢だったなとが俄然反省だ。
「お母さんは大丈夫だよ。」
息子に言ったつもりの言葉は、自分の中で鳴り響く。
大丈夫、私は大丈夫、と。
だけどね、困ったことに、その「ふつう」へのリセットボタンが見つからんのだ。
つづく・・・