P#6 出会い

遠くの方で赤いものがちらついている。

こちら側に向かってきたかと思うとすぐに消えてしまい、また姿を現したかと思うとすぐに消えてしまった。

リエベンは厩舎の前で、汚れた布を洗いながら、その様子をしばらく眺めていた。風がリエベンの頬をかすめていく。

赤い小さな点に目を奪われ、布を洗う手が止まった。点は少しずつ大きくなっていくようだ。やがて赤い点の後ろに黒い棒のような影が三つ。

それらが近づいてくるにつれ、赤い点はボール、黒い棒のような影三つは屋敷の主人と夫人、それに三女のパムであることがわかった。
　
パムは主人たちを先導するかのように、ボールを投げては追いかけ、追い付いてはまた投げを繰り返している。投げる力がそんなにないのであろう、飛距離はいいとこ２メートルと言ったところだ。

この屋敷の中で一番小さなパムは、主人はもちろんのこと、使用人たちからもずいぶんと可愛がられていた。空色のドレスがよく似合い、栗色のカールした髪の毛の上半分は大きなリボンでいつも結ばれていた。

この間の七歳の誕生日には、叔父から赤いブーツをプレゼントされた。編み上げになっているブーツはまだ珍しい。

最初は履き心地になれず嫌がったパムだったが、外に出るときは思いっきり走ることのできるそのブーツが今では大のお気に入りだ。空色のドレスに赤のブーツで走り回るパムはおてんばそのものだった。
　
二人で並んで歩くことが散歩の一番の目的だった主人と夫人は、最初からパムのボール遊びの相手をする気はさらさらない。パムにとっては両親と遊べないのは日常であり、普通だった。

パムはボールを投げては走り、走っては投げを繰り返していた。まるでボールという、もう一人の自分と遊んでいるかのようだ。パムは楽しくて仕方がなかった。
　
三人が屋敷に戻る頃、厩舎ではトマスが、客車の準備を始めていた。

トマスに手伝うよう言われ、リエベンは馬を引いて準備を始めた。主人は散歩から戻り次第、用事で街まででなければならないという。そのため、馬車の準備も大急ぎで行う必要があった。赤いボールに見とれている場合ではなかったのだ。

リエベンは馬を客車に取り付ける準備を始めたが、何せこの仕事についてからまだ半年だ。だいぶ慣れてきたものの、客車と馬をしっかりと取り付けないと大事故につながる恐れがある。リエベンは、最後のチェックをトマスに依頼し、その判定を静かに待った。

「まだ、完ぺきとはいえんのう。」

そういって、トマスはつなぎ目のボルトをゆっくりと締めなおす。

すべての点検が終わるまではさほど時間はかからなかった。トマスは自分が整備している自慢の客車を一度だけ撫でると、御者席にすわり手綱を握りしめた。

厩舎と客車倉庫の場所から屋敷の入り口までは200メートルあるかないかの短い距離だ。

いつもの通り、御者席で手綱を握るトマスは、御者席の薄いクッションをパンパンと叩いてリエベンに座るよう命じた。リエベンは一瞬目を疑い、そして目を大きく見開いてトマスに言った。

「い、いいんですか。」

リエベンの満面の笑みに一瞬表情を緩めそうになったトマスだったが、いつもの厳しい自分を装い、御者席からリエベンを見下ろして静かにうなずいた。

リエベンが御者席に座るのはこれが初めてだ。

整備や掃除のときはもちろん上がったことはあるのだが、こうして手綱を握るトマスの隣に座り、いつもの目線よりも格段に高いところから眺める景色を見ると、なんだかとても大人になった気がした。

だがしかし、トマスとリエベンの仕事は、馬車を屋敷の前まで運んで終わりだ。このまま主人を乗せて街まで連れていくわけではない。たかだか200メートルの距離だが、それでもリエベンは夢見心地だった。トマスが手綱を引き、馬車が動き出すと、一瞬体ががくりと前のめりになった。胸の高鳴りはいよいよピークだ。

あぁ。なんという幸せなのだろう。

思わず立ち上がって、世界中の人たちに向かってそう叫びたい気分だった。そんな気持ちを知ってか知らずか、トマスは、落ち着きなさいと促すようにリエベンの膝をポンと叩いた。

馬車が到着すると、そこにはアルベルトや御者が待っていた。御者席に座るリエベンをいぶかしげに見つめるアルベルトにトマスは軽く会釈をした。アルベルトの視線を感じ、リエベンもトマスに続き会釈をする。今度はとてつもない居心地の悪さを感じ、そそくさと御者席から降りた。

と、厩舎に向かおうとしたその時だ。

パムが例の赤いボールを持って主人とともに外に出てきた。散歩から帰ってもなおボールを手放していなかったようだ。

「これはこれはご主人様。少しお時間が早いのでは？」

アルベルトがそう尋ねると、主人は

「さっき帰ってきたばかりなのに、パムはまだ遊び足りんらしい。」

そう言ってアルベルトに答えたときに、主人はふと視界の中に厩舎の少年がいることに気付いて彼に視線を向けた。

「この少年は確か厩舎の・・・・」

「はい、ご主人様。リエベンです。今しがた厩舎から馬車を運んでまいりました。お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ござい・・・」

アルベルトが言い終わらないうちに、主人はリエベンに向かって話し始めた。

「リエベンとやら、悪いがわたしの準備が整うまで、パムの相手をしてやってくれんか。出かけるのはわたしと家内だけだから、パムは準備の必要もない。二人、歳も近いし、しばらくの間、任せたぞ。」

主人はアルベルトの方は見ることすらなく、言いたいことだけ言うと足早に屋敷の中に戻っていった。

パムは無邪気に笑いながら、早速、リエベンの手を引っ張り、屋敷の前に広がる芝の広場へと連れて行った。

いつもとは違う一日になりそうだー。

そう思うと胸騒ぎがした。パムが引っ張る力は思いのほか強かった。それはまるで、急がないとならない理由がそこにあるかのようだった。

つづく・・・

このお話はマガジンで＃１から読めます。

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