46万回のありがとう 1201 人が決めた世界を捨てる
透明シートを知っているか?
ありがとうを唱え
毎朝トイレ・玄関の掃除をし
ご先祖さまに感謝しながら神棚の水を替え
捨て活に励んでいたら
自分がどういう時に幸せを感じているか
わかりやすくなった。
更年期に入っているワタシは
今全てのことにイライラする。
自分でもそんなことで?
と思うのだが
でもこれは見方を変えたら
すごいチャンスだ。
私たちの多くは
社会的な概念、例えば
「人に迷惑かけない」
「自分がされて嫌なことはしない」
「和を大切に」
とか、幼き頃から教えられてきたことが
体に染み付いているのではないか。
それらは透明のシートのように
私たちを包み、私たちと一体化している。
だからもうそれが
私たちのデフォルトで
日頃はこの透明シートに
気が付くことがない。
嫌だと思った時でさえ
なんで嫌なのかとか深く考えたり
ましてや自分の声を聞くなんてしない。
時間がないからだ。
でも今のワタシは
そんな透明のシートでさえ
鬱陶しい。
自分の「いや」に敏感だ。
そして今まで以上に
嫌を我慢するのに
ものすごいエネルギーがいる。
人と接するのにすごく疲れたり
人の一言が気に障ったり
多分周りからしたらかなり
扱いにくい人間になっていると思う。
人はなんのために働くのだろう?
そもそもそんな嫌に敏感になるのは
仕事をいやいややっているからだ。
いや、仕事がいやなのではなく
ワタシは社長が嫌いなのだと思う。
小さな会社に勤めているので
社長から様々な悩みや相談を
受けることが多いが
その度に、この人は本当に幸せなのかなと思う。
そこからワタシの
「なぜ働くのか?」
の疑問ジャーニーが始まる。
みんななんのために働くんだろう?
というシンプルな問いだ。
お金のためという人は多いだろう。
ワタシもだ。
そのお金は
旅行に行ったり美味しいもの食べたり
子供にいい教育させたり
全て転じて総じて「いい気分のため」だ。
子どもの教育は大事だけど
お金に苦労しないために苦労して働くの?
寝に帰るマイホームのためだけに
あくせく働くの?
いい生活するため
将来ゆっくりするため
そのために今を犠牲にして
家族のためと言って
家族と過ごさないで働く。
作られ刷り込まされた
理想の現実のために
ワタシは働いてるなと思った。
自分の本当の理想はなんなのか?
それは必ずしもお金がかかることではない。
陽だまりの中散歩したり
綺麗なお花を見たり。
白米にたくあんだけでも
好きな人と食べたらご馳走だ。
人の理想に走るのではなく
自分の理想を知りその世界を作り
味わうことが大切だ。
今日の思考や行動の一日一捨て
人や社会が決めた理想の世界に住むのを辞める。
今日は自分の世界をとことん愛す。
お金=自由と思っていたけれど
お金に囚われて自由がなくなっていると
矛盾を感じることがある。
そういう刷り込みを捨てる。
読んでくださる方にありがとう。
スキくださる方にありがとう。
ありがとうは言われた側にも
徳が積まれて行くそうです。