46万回のありがとう #146 幸せな友人と不幸な友人から学んだこと
これはワタシが46万回のありがとうを言うまでの奇跡の記録。
146日目。
朝からご機嫌にエクセサイズ。
子供をふたり産むと、お腹の皮膚がたるみまくってエクセサイズしてもその恐ろしいたるみがどこかに行ってくれることはないのだけど、それでも今はこの体にとても感謝している。自分が自分のことを愛おしいと思うと周りの目を気にせずにビキニとか着れちゃうのだ。
お腹の皮膚のたるみも、頑張って2人をこの子宮で育んだ証として自慢に思える。自分が心地いいことが大事だから、男性とはまるで違う視点で女性は(少なくともワタシは)可愛いビキニを着る。単純に可愛いものに囲まれてるとテンションが上がるから。
そんなことを考えながら体を動かしていたら、もう何年も前の出来事を思い出した。
女友達2人と、3人で食事をしていた時のこと。
ワタシは当時まだ結婚していて、2人の友人のうち1人は既婚。もう1人は未婚。全員40代。
未婚の彼女はいつも色んな人と付き合っては、「違う、この人じゃない」と、結婚したいのに理想の人に出会えないと嘆いていた。彼女をAとする。
一方、既婚している友人は、旦那のことを楽しそうに話す。いつもそこには大きな愛があって、彼女のできないところを彼が自然にカバーしている、そんなご夫婦だった。仮にBと呼ぶ。
その日、ワタシは2人に対面する形で壁側に1人で座っていた。
話し始めて間もなく、Aの人生に対する愚痴とため息が始まる。
それに対し、自分の失敗エピソードを笑いながら話し、だからあなたも大丈夫とAを励ますB。
AがBに「幸せそうでいいね。」と言うと、Bは「まあなんだかんだ幸せかな〜」と言う。
Aはそれが気に入らなかったらしい。
さらに不機嫌になった。
あの時2人の会話をまるで傍観者の如く、見ていたワタシ。まるでドラマでも見ていたかのように、鮮明に覚えている。
Aは膨れっ面。Bは気まずそうにしていたけれど、その瞬間までの幸せなオーラが彼女から消えることはなかった。
それでワタシはふと今日思ったのだ。
もしワタシが神様だったら、どっちの人が好きかって。
どっちの人にもっと幸せを届けるかって。
やっぱりBなんだよね。
Aが可哀想だから何かをしてあげようとか思わない。
だって、チャンスを与えたとしても何も気がつかないで愚痴を言って終わってしまうのが見えるから。
というか、きっと神様も何度もチャンスをあげてるはずなんだよね、とうの昔に。
それでもAはいつも不機嫌で、愚痴を言って、自分はついてないとか不幸だとか、他人が悪いとかずっと言っているから、もう顔が笑ってないの。悲しそうなの。
一方、Bのエネルギーというか存在はすごく軽いんだ。
笑ってばかりいるから、落ち込む出来事も笑って吹き飛ばして終わりになっちゃうんだろう。
彼女には心強い旦那がいて、仮に何かあってもいつも彼女を守っている。ごめん、とか、ありがとうがとても素直に言える人なんだ。「〇〇(ワタシの名前)さん、もうさすが!」って、ワタシの方が全然年下なのにいつもいつもそうやって自然に褒めてくれる人。
だからやっぱりワタシも大好きなのはBさんね。
彼女には尊敬するところがいっぱいある。
最近はなかなか会えないけれど、それでもまだこうやって後から後からたくさん学ばさせてもらってる。
こうして考えたら、神様でなくてもポジティブなオーラとネガティブなオーラはわかるもの。
無理にポジティブになる必要はないんだけど、やっぱり人間笑うことが大事だと思う。
ワタシの彼がよく、Life is a Joke.と言う。
人生笑ってなんぼだ、というワタシの人生哲学とぴったり合う。
辛いことが起きてもそれをジョークにして笑い、うまくいってもまた笑い、いつでも笑ってたら、「なんかこの人おもろい」って人が集まってくる。
やっぱり笑いと笑顔にはすごいパワーがある。
まず笑え!
そういうことです。
読んでくださる方にありがとう。
スキくださる方にありがとう。
画像提供にありがとうございます。
今日の記事にぴったりすぎてニヤニヤしました。
ありがとうは言われた側にも徳が積まれていくそうです。