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経済学でも、理想を目指そう!

前回までの記事で、ぼくのスキな映画について書いていて、不評だったので、経済学についての記事に戻します。

 

大学では経済学部だったのだが、映画サークルで感化され、哲学を学んでいました。ただ、ゼミを始め、経済学部にも、哲学を学ぶ環境はありました。ただ、学生運動の煽りで(ぼくはやっていませんが)、哲学の先生が、海外に飛ばされ、代講の先生の指示で、大学の哲学科で学ぶこととなりました。その後、病気で大学を止め、主治医の薦めで、放送大学で哲学を学んでいましたが、病気に悪いらしく、今では、大学のコースを変え、経済学を学んでおります。哲学と経済学を比べると、哲学の先生は、哲学は全てについて考える、と仰っておられましたが、経済学は主におカネについて考える、とゆうことで、対象は限定されています。また、友だちの多くいた、社会学と比べても、社会の中に経済は内包されている訳ですから、より考えやすいとゆうことになります。

 

では、経済学は経済=おカネの動きについて、考える学問なのでしょうか?実は、経済学者の佐和隆光の著書、「佐和教授はじめての経済講義」の扉には「経済学はおカネの動きばかりを研究する学問ではありません。豊かさと幸せをつくり出す社会の仕組みを考えるのが経済学の役割なのです!」と書いてあります。本の冒頭には、「葛洪(かつこう、283~343年)という東晋時代の中国の道教研究者が、西暦317年ごろに著したとされる著書『抱朴子』のなかに、「経世済民」という四文字熟語が登場します。その意味するところは「世の中を治め人民の苦しみを救う」ことです。じつは、経済の語源はこんなところにあったのです。ですから、権力をめぐる争いで不穏になりがちな世の中を平穏無事に治め、人びとの飢えや貧困の苦しみをできるだけ和らげるためには、どうすればいいのかを考えるのが経済学の役割なのです」と書かれています。経済学は、おカネの儲け方を研究する学問ではなく、「世を治め、民を救う」方途を研究する学問であり、歴史学、政治学、自然科学、数学など、あらゆる学問の知識を総動員して、経世済民の術を学ぶ学問です。ちなみに、ぼくの経済学の勉強法は、この本を徹底的に読み込むことでした。

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では、すべてを考える哲学と、あらゆる学問の知識を総動員する、経済学の違いは、どこにあるのでしょうか?それは、人間のあるべき姿を考察する哲学と、人間のあるがままの姿を考察する経済学とゆうことではないでしょうか?ぼくとしては、人間形成期にあたる、若いころには、哲学をやっていて良かった!と思うけれども、いまは、理想と現実の複眼視だ、と思っております。佐和先生も理想主義者でありますので、現実を踏まえた上で、理想を目指すのはいかがでしょうか?



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