正しい革命の起こし方
先日、「ホントに偉大なのはリーダーじゃない」というnoteを書きました。正しいムーブメントの起こし方として、ムーブメントは1人のリーダーが起こすのではなく「みんな」こそが最も偉大な活動家なんだってことが伝わっていたらうれしい。今回はその姉妹noteとして、正しい革命の起こし方をnoteしてみようと思います。
人類はこれまで幾度も革命を起こし、その度に多くの血を流してきました。社会は常に変化を伴うもの、だから変化そのものを憂いてもしかたがありません。
中学時代に暗記した平家物語の冒頭を、いま、ふと思い出しています。
今も昔も、世の移り変わりは常。
わたしが、平家物語の冒頭の記憶と共に、、、いまになって学校で教えてほしかったと思うことがいくつかあります。そのうちのひとつが、権力との向き合い方です。今も時代に翻弄されながら多くの血が流れています。強大なグローバリズムのなかその脅威はますます増しているようにみえます。わたしたちは、これだけ情報が浸透し情報が自由に得られる時代になってもまだ、正しい社会の転換の仕方を学べていません。
革命の仕方を知らないのです。
今更、世が移り変わることがわかっていて、何を好き好んで血を流す必要があるのだろう?正しい革命の仕方ってないんだろうか。
裸の王様は革命のお手本
裸の王様というアンデルセンの童話があります。
人は権力やプライドに弱く、見えないものを見えないと正直に主張できない愚かさを描いたものだという解釈もできます。一方で、わたしが興味深いと思うところは、王様を王様たらしめているのは周囲の臣民だということ。それが絶妙に描かれているところです。社会や権力の成り立ちについての示唆に富んでいると思うのです。
つまり、王様を王様たらしめているのは、リーダーシップでも才能でも財力でもありません。その周囲の取り巻きなのです。「なんにも着ていらっしゃらない!」と気づいた瞬間(むしろ気づくだけで)、その威厳は消えてなくなるのです。血は一滴も流れていません。
そして、これが革命の核心だと思うのです。
権力とはなんだろう?
権力とは権力者が誇示するものではなく、もともと民衆のものという客観的な事実があります。民衆が「協力」することによって、王様という権力が発現します。臣民がいなければ、王様でいられません。
もちろん、わたしが一人で王様に立ち向かって、あなた裸ですよね?っていっても返り討ちにあっておしまいです。ところが、権力はすべての民衆の協力の積み重ねによって生まれているという事実があるなら、すべての臣民が臣民でなくなったと思った瞬間に権力はなくなるということです。
ガンジーの非暴力とは、単に人道的だからという理由で生まれたものではありません。権力にたいする非常に深い洞察が非暴力&非協力の理論を生んだのです。
非協力という攻略
わたしたちは、世の中を変えるために何が出来るだろう?能力もない力もない知識もないわたしに何ができるだろう?社会がどんどん複雑化し、身の回りの出来事にすら自由に発言することもはばかられる毎日に、心を閉ざしてしまってはいないですか?
世の中を変える方法は、実はとても簡単です。
それを「しない」ことです。
なんだか、煙に巻いたような言い方だけれども…。ガンジーの非暴力運動の根源もここにあります。裸の王様現象です。「なんにも着ていらっしゃらない!」と思えばいいだけです。それだけです。
もし、国家の暴力に反対なのならば、暴力によって対峙するのではなく国に対して非協力をする。権力は誰でもないわたしたちの中に存在しているということを思い出してほしい。
1 人ではなにも意味をなさないかもしれない。でも、「わたしは日本国民ではありません。わたしはアメリカ人ではありません。地球人です!」って言ってみる。いや、そう思うだけでいい。そう全員が宣言したら、権力はその瞬間なくなります。日本も、アメリカも、ヨーロッパもなくなります。
非協力という協力、「しない」をするという行動は、武力よりもよほど大きな力を持っているのです。
りなる